離さない















ここは…何処だ?





一度手放した意識を取り戻したは、何も見えない真暗な空間にただ一人横たわっていた。

縄によって拘束されている重い腕と、布が噛まされている口。

そしてこの身に纏う澱んだ空気と息を吸う時に感じる微かな臭気。

が場所を把握するにはこれだけで充分だった。

『牢』。

…どうやら、私は捕らわれたらしい。

ゆっくりと身を起こし、未だはっきりしない頭を振る。

すると、醒めていく意識がこれまでの記憶を引き戻してくれた。















我が軍は人知れず進軍し、敵軍に近付いていた。

しかし、この先は敵の動きをよく知らなければ進む事が難しいだろう。

軍師はそう考え、敵陣に間者を送り込む事にしたが…。

そこで白羽の矢が立ったのが…最近目覚しい成長を果たし、蜀五虎将としても名高い趙雲の配下となっただった。

他の武将とも互角に渡り合える力を持ち合わせている彼女に軍師は偵察の任を与えたのだ。

ところが。

敵軍に居る軍師も勘の鋭い男だった。

彼女が一報を本陣に送った後、を間者だと見抜き、捕らえたのだった…。















冷静になった頭では考える。

捕らわれた間者の運命は…ただ一つ。





死。





しかし、は身動きもせずに小さく息を吐いた。

自らの命を絶とうにも…その術がない。

自身の得物は勿論、身に纏うものも薄い着物のみ。

幾ら思案しても、己自身でこの命を終わらせるのは不可能だった。

…舌を噛み切る事も出来ないか…。

そう思い、は自嘲気味に笑った。

刹那。

真暗な空間の片隅から、突如夜明けのように光が差し込んだ。

そして、光に照らされた影が一つ中に入って来る。

眩しさに目を細めるの目の前に立つ男。

その男がくくっと喉で笑いを零し、言い放つ言葉は…。

の思考を止める力を充分に持っていた。





「…貴様が女で安堵した。 男ならば、後で醜い屍を始末せねばならんからな」



















迂闊だった。

幾ら武勇に優れていても…所詮は『女』だ。

もし、捕らわれたとしたら…。





が間者として敵陣に潜り込んだその夜。

趙雲は全速力で馬を駆っていた。

身を震わせる程の冷たさを持った空気が容赦なく彼の身に降りかかるが。

それ如きで物怖じするような彼ではない。

己が持つ得物と、たった一つの『気持ち』が趙雲を敵陣へと動かしている。





を、連れ戻す。





任務とは言え、己の下からを離してしまった。

目の前の事実が…どれだけ趙雲の心を締めつけたか………。

その時、彼は初めて気付いたのだ。

己の奥にある、気持ちに…。







私は二度と、お前を離さない………。



















…暖かい。

数人の兵士に担ぎ上げられ。

連れて来られた場所は…極々普通の部屋だった。

しかし、常に手入れされているのだろう…清潔な空気がその場を支配している。

刹那。

床に下ろされ、安堵の息を吐いたの鼻と口が布で塞がれ、僅かな香りが鼻腔を擽る。

嗅いだ事がない香木だったが、不快感を感じない。

いや寧ろ…後を引く心地よい香り―。





…これは…もしや!?



しまった!!!





ただ事ではない感覚にがはっと息を呑んだが…時既に遅し。

力が奪われつつある身体が力なく膝を折る。

は己の不甲斐なさを恨んだ。

悔しい気持ちとは裏腹に、思うようにならない身体。

僅かに動く顔を男達から背け、一筋の涙を零す。

こんな屈辱を受けるなら…一思いに殺して欲しい、と心で嘆きながら。

先程、男が吐いた『女で安堵した』という一言が全てを物語っている。

私の行き先は…もうない。

死する時が延びただけだ。

せめて…体の力だけでなく、意識も失えたら…。

はぎゅっと瞳を閉じた。

これから…自身に降りかかるであろう『行為』から逃げ出すように…。















しかし。

の考えた『行為』は現実にならなかった。

突如部屋の外が騒がしくなったのだ。

部屋に居た兵士が扉を開けると、外から血生臭い匂いと敵兵達の阿鼻叫喚が飛び込んできた。





「敵襲っ! 蜀軍の奇襲だぁーーーーー!」





何…?

が頭を働かそうと思った刹那。

扉を開けたままの格好で唖然としていた兵士の身体が肉を斬る音と共に崩折れた。





!!!!!」





直後、自分の名前を呼ぶ声が部屋に大きく響く。

まさか、この声は…。

いや、私がこの声を聞き間違える筈がない。

重たい頭を動かし、扉に視線を向ける

その視界には…。

己の『死』を覚悟した瞬間に思い浮かんだ姿。

最期に、見たいと思った………。





…趙、子龍。





その人が…得物を片手に、立っていた。



















事はほぼ軍師の思惑通り動いていた。

まず、間者としてを送り込む。

上手く事が運べば…彼女が情報を持ち帰ってくる。

しかし、予定時刻が過ぎてもから定時連絡がなかった場合…。

間者を捕らえたところで安心している敵陣を正面突破するという軍師の『策』。










その事実を知る事なく、手元から彼女を離してしまった自分…。

趙雲は己の不甲斐なさに腹が立った。

そして…。





…軍師の『策』に乗じるのであれば…己の取る行動は一つ!!!





敵陣に着くや否や、並み居る敵兵を斬り倒しながら突出して行く趙雲。

明らかに他の武将とは違い、鬼気迫る彼に…誰もが驚愕せざるを得なかった。

「趙雲殿! 勝手な行動は許しませんよ!?」

と言う軍師の声も、最早趙雲には戯言でしか聞こえない。

「軍師殿、ここは頼んだ…。 私はを救いに行く!」

修羅の形相で軍師を睨み返すと。

趙雲は単騎、敵陣の中へと進んでいった…。



















「………?」

扉の前に居る姿を凝視するの頭の中は疑問でいっぱいになっていた。

何故我が軍が奇襲しているのか?

そして、何故趙雲がこの場に居るのか…?

まるで今の状況が把握できない。

呆気に取られた顔で、それでも趙雲から目が離せないでいるを視界に捉え、趙雲はようやく安堵の息を洩らした。

そして、倒れる兵士を尻目にへと歩を進める。

…。 無事でよかった」

身を拘束していた縄や布を解き、「動けるか?」と手を差し伸べる上司には苦笑で返す。

「嗅がされた香のせいで…思うように力が…」

刹那。

「…! 趙雲様…何を!」

「身体が動かないのであれば…こうするしかないだろう」

の言葉よりも早くその身体を拘束し、自らの腕に抱える趙雲。

そして。

「降ろしてください! 私に構っていては…趙雲様が危険です!」

必至に言葉の抵抗を続けるを余所に、外で控えている馬に彼女を乗せるとその後ろにひらり、と跨った。

己の背に感じる暖かいものと、腰をしっかりと支える力強い腕。

前から…何度も夢見、心に描いてきた事だったが…の気持ちは戸惑いに支配されていた。

迫り来る敵兵に刃を向け、斬りかかっている趙雲にが更に言葉で抵抗する。

「これでは戦い辛いじゃないですか! さっさと私を降ろし…ってて」

「ほら。 余計な事を喋っているから舌を噛むんだ。 …足手纏いになりたくなかったら暫く大人しくしてくれ」

「…解りました」

話は…後、って事か。

趙雲の諭すような言葉には不貞腐れながらもようやく観念した。















程なく、本隊から来た伝令が『奇襲成功』の報を伝えて来た。

そして。

既に周りの敵兵を一掃していた趙雲の前にが居る事を確認すると、直ぐにそれを伝えるべく去って行った。

事の全てを知ったは、この『策』を思いついた軍師に怒りを露にする。

「何なの!? あの鬼軍師! 私なんかどうなってもいい、って事!?」

香の効き目が切れ、動けるようになった足で地団太を踏みながら叫ぶ。

刹那。

…。 私はお前が無事なら、それでいい」

という言葉と共にの両腕が趙雲の手に掴まれた。

突然の事にが驚き、動きを止める。

そして、視線を上げると…趙雲の微笑みを含んだ顔が飛び込んで来た。

「ちょっ…趙雲様…?」

間近に迫るものに、の戸惑いが隠せない。

軍師の指示を無視してまで、自分を助けた。

何時でも冷静さを失わない方。

何よりも我が軍…殿を大事にしているこの方が、私の為に動いた。

の心の中を再び疑問が渦巻く。

「趙雲様…。 そこまでして、どうして私を…?」

思わず口をついて出たの問いに、趙雲は表情を硬くする事で答えた。

腕にかけた手をそのままに…視線だけを僅かに逸らす。

しかし、趙雲の放つ言葉は…の心を苦しい程甘く、締めつけた。





、お前を他の男のものにしたくなかった。 …それだけだ」





「趙雲様…」

喉の奥から搾り出すの声は、震えていた。

意思を持ったかのように激しく高鳴る自身の心臓を鎮めるように、胸に手を当てて息を吐く。

しかし、が言葉の意味を考える必要は最早なかった。

直後、身体が趙雲の腕によって拘束されたのだ。

耳元に熱い息と共に「二度とお前を離さない」と趙雲の言葉がかかる。

その身体、腕、言葉…全てから趙雲の心が浸み込んで来る。

更に騒がしくなり、鎮まる事のなさそうな心をは苦しくも心地よく感じ始めていた。

趙雲の背に腕を回し、力をこめる。

そして、相手の顔を見るべく身体を僅かに離すと

「趙雲様…私も」

はにかんだ笑顔を趙雲に向けて、はっきりと答えた。





………もう二度と、離さない………















劇終。










挿絵 : 作者 ゆう/Lilly様
オリジナル画像はこちらから。











↓反転でおまけ。(その後の軍師とその奥方の会話)



月英   「孔明様…此度の『策』、そこまでする必要性があったのですか?」


諸葛亮 「そこまでしなければ…勝者と敗者が逆になっていたことでしょう。

      何せ、あの司馬一族の者が相手ですからね。

      更には、時間をかけることが許されない状況でしたからね」


月英   「ですが…あのお二人の気持ちまで利用するのはちょっと…」


諸葛亮 「さて…何の事でしょうか?」


月英   「…孔明様。

      此度の事、『軍師』としてはいい策だと思います。


      ですが…。

      人としてはどうか、と…」



奥方にツッコミを入れて欲しかった管理人のワガママで実現したオチです(何

終わります(脱兎





アトガキ


企画サイトに捧げる…管理人による初の夢。
すみません…完全なる私の趣味です(汗

子龍さんにアノ台詞を吐かせたかった…それだけです orz


捕らわれの間者。
その結末は…やはり『陵辱死』なのでしょうが。
やはり助けて欲しい。
そんなヒロインの気持ちに管理人、答えましたよっ!(何

あと…挑戦的な事を。
気持ちの表現に『好き』『愛』という直球的な言葉を入れませんでした。
最近の管理人は…まさにチャレンジャー(ん?

おまけにはあのご夫婦の会話を。
少々暴走(!?)気味の旦那を制御する…
てか、ツッコミを入れるのは奥方だと思うのは私だけでしょうか…?
(先生のファンの方…本当にスミマセン)


少しでも楽しんでいただけたら幸いですw
ここまで読んでいただき、ホントにありがとうございました!



2007.7.2     作者:安土 焔@管理人

使用お題『離さない』。
(「攻め気味な20のお題」より)


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