雨上がりの世界は優しい。
戦乱で乾きかけた私の心も、身体をも癒していく。



まるで、あなたのように―。





















「…綺麗!」
朝から降り続けていた雨は通り雨だったらしい。
地を激しく打ち続けた雫の嵐が去った途端、空には見違えるほどの青が支配し始めた。
力を取り戻した太陽は、今迄の鬱憤を晴らすが如く光輝く。
やっと鍛錬が出来る、と得物を片手に勇んで外へと身を躍らせたは…地に溜まる水に反射する陽光を見て思わず感嘆の声を上げた。

これだから、雨って好きよ!

鍛錬で一汗かこうと思っていたの思惑は瞬く間に違う方へ向かった。
雨上がりの昼下がり。
見慣れている景色も、雨の雫が加わるとその趣も変わる。
何時も忙しく、昼間は滅多に外へ出ない彼も…これで少しは癒せるかも知れない。
そう…彼を誘うなら、今―。
中庭に降り立った足を再び廊下へと向けると、足音を響かせながら走り出す。



……… 一路、彼の許へ!
















が彼の執務室へ足を踏み入れると、やはり彼はそこに居た。
勤勉で仕事熱心な彼は、日中…呂蒙の用事がなければ殆ど執務室で時間を過ごす。
今も、様々な兵法の書かれている書簡に視線を落としている。
しかし。
「…
いらっしゃい、と顔を上げる彼の顔には驚きの色がない。
寧ろ、の突然の訪問を予知していたかのように柔らかな笑みを湛えている。
これは、の足音が特徴的なのか、はたまた…。





「…よく解ったわね、伯言」
陸遜と僅かに距離をおいてしゃがむと、が徐に口を開いた。
そして…書簡に集中してたんじゃないの?と唇の端を僅かに吊り上げながら厭味を含んだ言葉を小さく付け加える。



彼の集中力は流石なものだ。
賑やかな城内に居ても、ひとつ仕事に取り掛かると目の覚めるような速さで確実にこなしていく。
その度に呂蒙をはじめ、周りの人々を驚かせているのだが。
はその集中力にちょっとした不安を感じていた。
執務中の彼はあまりに一生懸命すぎて、その雰囲気に嫉妬心すら覚える。
伯言は…これくらい私に集中してくれているのかしら、と―。



しかし、その気持ちは取り越し苦労だったようだ。
陸遜は笑顔をそのままに、握っていた書簡から手を離すとの腕を引き寄せた。
自ずと近付く愛しい人の顔。
その耳元に唇を寄せると、熱い息と共に陸遜は己の想いのたけを放つ。

「こちらへ近付いてくる足音が貴女のものならば、直ぐに解ります。
、貴女の足音を聞いてしまったら…とても書簡に集中など出来ませんよ」

貴女を待っていました、と紡がれる愛しい人の言葉をは幸せな気持ちを抱きながら受け止めた。
聞こえる足音が自分のものだって解るのは…彼が私の事を気にかけてくれているからだ、と。
頬に触れる陸遜の髪が少しくすぐったい。
はその髪に手を触れると小さく「ありがとう」と感謝の言葉を告げた。





「…、私に何か用があったのではないですか?」
暫しお互いの温もりを確かめ合った後、漸くではあったが陸遜が僅かに体を離して語りかけた。
刹那。
そうだ、とは我に返る。
二人で触れ合う時間も勿論大事だが、今がここに居るのは、別の目的があるから。
このままでは、折角の貴重な瞬間を逃してしまう。
は一つ大きく頷くと
「そうよ、伯言。 私がここに来たのは他でもないわ。 …ちょっと付き合ってくれる?」
執務中に悪いんだけどさ、と笑顔に少々苦いものを含めながら言った。
そして、返事は要らないと言わんがばかりに陸遜の腕を引っ掴む。
の突然の行動に陸遜は戸惑いを隠せない。
己の目を見開き、ぐいぐいとひたすら扉へと導かれるままその腕の主に問う。
「あっ…あの、? お誘いはとても嬉しいんですが…何処へ」
「散歩よ、散歩! 外は気持ちがいいわよ!」
さぁ、早く早く!と意気盛んに歩を進める
その後姿は、町に居る極々普通の女性達と変わらない。
陸遜は笑みをたくさん含んだ瞳でを見つめながら小さく呟いた。


これだから貴女には敵わない、と。
















執務室の扉を開け、外に出た瞬間に広がるは一面の光の世界。
今迄執務室に居た陸遜は目を細めながら額に手を翳すと、狭まった視界で改めて辺りを見回す。

己の存在を主張する太陽を支えるようにして広がる青空。
暖かい陽光を受けて輝く…地に幾つも広がる水溜り。
そして、太陽に微笑みを返すように…光を反射させ、草花から零れ落ちる雫。

あらゆる光を湛えた景色に感嘆の息を洩らす陸遜。
「…素晴らしい。 光は、見ようによって様々な色を見せるのですね」
少々眩し過ぎますが、と隣に立つに笑顔を向ける。
その笑顔は、眩しさで僅かに歪んではいたけれど間違いなく喜びに満ち満ちていた。





「ね、綺麗でしょ?」
これを早く貴方に見せたかったの、とが微笑みを返す。
貴方を連れ出してよかった、とは改めて思った。
陸遜の執務の邪魔は極力避けていたのだが、この瞬間はそう簡単に訪れない。

この綺麗な景色を、彼と一緒に見ていたい。
同じ感動を、彼と共有したい―。





の想いは、傍らに居る陸遜にも確実に伝わっていた。
「…ありがとうございます、。 この 『光の世界』 、貴女と見ることが出来て本当によかった」
噛み締めるように言うと、徐にの手を取って縁側へと導く。
暫く一緒に見ていましょう、と。
刹那、この意外な展開にの目が驚きでぱちくりと瞬き始めた。
仕事熱心な彼の事だから、直ぐに執務室へと戻るだろうと思っていた。
だからこそ、この瞬間を逃したくはなかったのだが―。
「伯言、貴方執務はいいの? さぼってたら呂蒙様に怒られない?」
心配な気持ちがそのまま喉から出てくる。
しかし、の言葉に臆する事もなく縁側に腰を掛ける陸遜。
「少しくらいはいいでしょう。 、折角貴女と一緒に居られるのですから」
「でも…」
陸遜に倣いながら隣へ腰を下ろすが、の心中は穏やかではない。

凄く嬉しいけど…。
これが元で、貴方が呂蒙様に叱られる事を思うと…素直に喜べないわ。

すると。
の心中を知ってか知らぬか、の手を包んでいた彼の手が肩へと回った。
より近付く二人の距離。
自ずと陸遜の肩に頭を持たれかける格好になってしまう。
「…本当に、いいの?」
顔を上げて陸遜の顔に視線を移しながらが問うたが…。
刹那、屈託なく向ける笑顔の眩しさに今度はが目を細める事になった。



「貴女の喜ぶ顔が見られるのなら…
こういう風に仕事をさぼる時間も、大事ですよ。
私にとっては、ね」










一時の幸せな時間を終え、陸遜が執務へと戻るべく立ち上がる。
「そろそろ行かなければ…。 、貴女も鍛錬に行かなければならないでしょう?」
「…そうね。 名残惜しいけど」
しょうがないもんね、と陸遜を追うように立ち上がる
その顔には嬉しさの他に幸せをたくさん湛えている。
陸遜は繋がれたままの手を引き、再びの身体を引き寄せた。
そして、悪戯っ子のような表情を笑顔に含めての唇に己のそれを一瞬だけ重ねると
…。 続きは今宵、という事で」
頬を紅く染めながら優しい笑顔を向ける愛しい人に意味深な言葉を放った。








今度の雨上がりは、私が貴女を誘いますよ。



貴女が教えてくれた、『光の世界』 へ―。











劇終。







アトガキ

…お久しぶりです(苦笑
ようやく自分の時間が出来つつある管理人です。

今回は言うまでもなくベタ甘夢。
というわけでりっくんにご登場いただきました。

雨って、憂鬱になりがちですが、雨上がりの眩しい景色を思うとちょっと違うかなと思い、書いてみました。
手前ミソなので、少々お見苦しいかも知れませんが(汗
少しでも楽しんでいただければ幸いです。

ここまでお読みくださってありがとうございました。

2007.10.28     安土 焔@管理人 拝



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