劉備が周囲の反対を押し切り開戦した復讐戦・・・夷陵の戦い。
関羽の訃報を聞いた劉備は己の怒りに身を任せ周囲が止めるのも聞かず兵と信頼の出来る武将を連れて進軍を開始
陸遜率いる防衛軍と約1年、夷陵の地にて激戦が始まった。
緒戦は劉備が率いる軍勢の猛攻により呉軍は後退していく。また、それと同時にまだ陸遜が若い所為もあってか
部下の将達は陸遜の命令を聞かず好き勝手に戦い、戦場を駆け抜けた。
統率の取れていない呉軍、その結果が蜀軍の侵攻を進めさせる要因となる。
優位に立つ蜀軍は果敢にも自分達よりも兵士の数が多い呉軍を攻め立て続けた。呉軍はその蜀軍の猛攻に
相次ぐ敗戦を余儀なくされ将達の士気も下がり続けていた。しかし陸遜は己の剣を掲げ
戦意喪失状態の将達に反撃の進言をし呉軍の態勢を整えた。
そして、陸遜は蜀軍の猛攻による疲労と自分達が優位に立っているという優越感からなる油断が高まる時期を
待ち続け翌年の初夏、陸遜は火計を成功させた。陸遜の持つ独自の洞察力を用いて蜀軍の陣営が
火に弱い事を見抜いていたのだ。火計を実行するために呉軍は水上より素早く陣営に近づいた。
そこで陸遜は赤壁の戦いを再現しているかのように東南の風を利用し、火計を行いこの危機を救った。
蜀軍の陣営は炎上し壊滅状態、兵力の大半を失った劉備は守る兵も殆ど居ない中、国境である白帝城まで逃げ戻った。
成都に戻らず白帝城に留まっていた劉備・・・長期に渡る戦の所為か、それとも
義兄弟達を失った悲しみの所為なのか・・・次第にその体は病魔に蝕まれた。
日に日に衰弱していく自身を見つめ劉備は死期を悟った。死期を悟った劉備は息子達、高官、そして諸葛亮を
呼び寄せ全権を諸葛亮に託す事を伝え、涙ながらに皆が見守る中で息を引き取りその生涯が終わった。
全権が諸葛亮に託され月日は流れ・・・戦の始まりの狼煙が上がるのもそれほど時は必要なかった。
孫権、そして陸遜が率いる呉軍が孫呉の天下を揺ぎ無いものにするために白帝城に攻め込んできた。
蜀の柱ともいえる諸葛亮は大規模な軍勢を率い魏の征討に向かってしまった。
諸葛亮が不在であってか今が蜀を落とす絶好の機会・・・この機会を逃す手は無かった。
残された劉禅を守るのは諸葛亮が残した僅かな策と勇猛果敢な武将達・・・そして
蜀の栄光なる未来を夢見る兵士達だった――。
「我らがこの地を守りぬけっ!この身尽き果てるまで!」
「蜀軍万歳っ!!」
「この戦、負ける訳にはいかんっ!」
広い大地に響くのは大勢の兵士達が走る振動の音、声を上げ己の志を叫び負けぬわけにはいかないと果敢にも武器を掲げ地面を駆け抜ける。数え切れないほどの兵士達が駆け抜ける戦場は砂埃が舞い、視界が悪い。
しかし、そんな悪環境の中でも兵士達は武器を手に持ち真っ直ぐと敵に向かって駆け出していくのだ。
辺りから聞こえるのは重なり合う武器の金属音、雄たけび、そして断末魔・・・熱く輝いたその命はたった一度や二度の斬撃で散っていく。力尽きた兵士達は地面へと叩き付けられ、薄れ行く意識の中駆け出していく仲間の姿を見つめ息絶えていく。
呉軍が侵攻してくると兵士達は自ら武器を取り戦場へと向かった、呉にこの地を取られてなるものか。
この地は我々蜀が治め蜀を信じて今まで付いてきてくれた民の為の地なのだ・・・だから絶対に譲れない。
だがそれは呉軍も同じ事、天下を統一する為には蜀軍に見事勝利を収めこの地を手中に収める事が必要。
互いに譲れぬ思いの中、戦は時を追う事に激しくなっていく。
「伝令っ!民が・・・武器を持ち戦場に現れました!その数・・・数え切れませんっ!
現在、陸遜率いる軍勢に立ち向かっておりますっ!どうか、救援をっ!」
激しくなる戦、互いに猛攻を続ける中・・・一つの伝令が戦場にいる兵士達、武将達を震撼させる。
今まで劉備に守られ、武将に守られ、兵士に守られ続けた民達が農具を手に持ちあろう事か呉軍の本陣に向かって駆け出してきた。その数は数え切れたものではない、千どころではない民の数に蜀軍も攻められる呉軍も困惑した。
「おめぇら、けぇれぇぇっ!」
「ここは私達が住む土地よ!奪われて溜まるものですかっ!」
「劉備様が守って下さった地じゃ!わしらで守るんじゃぁっ!」
男も女も老人もまだ小さな子供も農具を手にとって人の波となり呉軍本陣目掛けて侵攻を開始・・・
呉軍の兵士達は一塊になりその民達を押し止めようとするのだが、民達はそんな兵士に農具を振り上げ切れ味の悪い刃先で何度も兵士達に振り下ろし先へと進もうとする。
民に剣を上げられない兵士達、そんな兵士達が蜀の民達に命を奪われる中・・・
苦渋の決断が陸遜に、そして孫権に迫られた。
「・・・孫権様っ!孫呉の天下、ここで朽ち果てるわけには参りませんっ!どうか、武器を上げるお許しをっ!」
「・・・・・・劉備殿よ、そなたは死して尚生き続けているというのか。なんとも恐ろしい男よ・・・
しかしこの孫仲謀も亡き父上、兄上の志・・・何よりも我らに仕えてきた者達の安息の日の為にここにいる!
兵達よ!今一度、猛虎となって駆け抜けよ!」
本陣の椅子に座った孫権に頭を下げ決断を迫る陸遜、やっと孫呉の天下が目の前まで迫っていたのにここでそれが朽ち果ててしまうのか?今は亡き軍師達、武将達の事を思えば胸を裂かれる思いになる・・・
彼らの志を胸に抱え今まで戦い生きてきた、だからこそこの地で踏みとどまっている訳にはいかないのだ。
陸遜の進言により総大将である孫権の心が固まり、皆の前で力強く手をかざした。劉備の心が生きているのならばその心を噛み砕くしか手段はない、苦肉の思いだが孫権は後戻りは出来ない・・・
孫権の声や思いに答える如く、兵士達は猛虎の雄たけびを上げ武器を民に振り落とした。
周囲から絶え間なく聞こえてくる金属音と兵士達の声、兵士達同士がぶつかり合い自軍の為にと武器を押し込み進んでいく。相手を睨みつけ武器を重なり合わせる者、相手の首を斬り落とし噴出す血を浴びても尚敵に向かっていく者、倒れた者に無残にも剣を突き立てる者・・・非情であるがそれが戦。
相手を斬りつけた者は直ぐに相手を見つけるために辺りを見渡し、弱いそうな者に向かって剣を握り締め駆け出した。その呉軍の兵士は体の小さな兵士目掛けて、力の限り剣を振り落とした。
「うぉりゃぁぁっ!!」
仕留めた、相手はこちらに気づかないように背を向けている蜀兵・・・これでまた一つ孫呉の天下へと近づくだろう、そう思われた。しかし、力の限り振りかぶった剣が斬り裂くのは人ではなく空だった。
それに気づいた瞬間、目の前の兵士は剣筋を避けるように左に飛び跳ねていた。
しまった気づかれていたのか、慌てて態勢を整えようとした呉兵は前のめりになった体を起こそうとしたが避けた蜀兵の行動の方が断然早かった。
「はぁっ!」
「ぬぅっ!?」
蜀兵は槍を長く持つと柄の部分で呉兵の足元に向かって横一閃になぎ払った。態勢を崩していた呉兵は堪らず前のめりになって地面に体を叩き付けた。戦場では一瞬の油断で生死が決まる場だ・・・
この場で油断したのは呉兵。
背中を空に向け倒れた呉兵に槍を構えた蜀兵は力強く、心臓目掛けて槍を突き立てる。
「ぐあぁぁっ!」
「・・・っ!」
鎧を貫いた槍先だったが、力が足りなかったのか心臓まで槍先が届かなかった。一撃で死ねない呉兵は激痛で叫び暴れ自身に槍を突く者の足を力強く握り締めた。死ねない苦痛、生きたい希望・・・震える体で呉兵は力を絞りその蜀兵に必死の形相を向けた。
向けられる死が浮かぶ顔、蜀兵は目を瞑って全体重を込め槍を突き刺した。肉を斬り裂いたあの気持ちの悪い感触が槍先から柄へ、柄から手に伝わるがそれでも槍を放さず心臓を貫いた。
「・・・お、んな・・・に・・・そっ・・・」
呉兵を殺したのは女の蜀兵、まさか戦場で女に殺されるとは思っても見なかった呉兵は無念のまま息を引き取った。
絶命した呉兵から勢い良く槍を抜き去ると蜀兵は辺りを見渡した。
周囲で武器を振り回す呉兵に蜀兵、何百人という兵士が敵に向かって攻め立てる光景はいつみても身震いするほど恐くて堪らない。だが、それでも自分は戦場に立っている・・・成すべきことを成す為に。
「・・・あっ!」
見渡し見つめていると同じ部隊の仲間が武器の押し合いで苦戦を強いている光景を見た。相手の方が体も大きく力自慢の呉兵のようだ・・・助けなければ、そう思い蜀兵は走りだした。兵士同士が戦い合うその地を駆け抜け真っ直ぐにその呉兵に向かう・・・槍を右腰辺りで握り締め力強く前へと踏み込んだ。
「やぁぁっ!!」
声を上げ全身に力を込める、槍先を向けるのは・・・相手の首、突き出す槍先は真っ直ぐに相手の太い首を貫いた。
「っ!!?」
目の前の蜀兵しか見ていなかった呉兵は突然の痛みに誤って舌を強く噛み締めた。戦場での一騎打ちというものは武将がやるものであって一端の兵士達は乱戦要因。だから、互いに戦いあっても横から敵兵の攻撃を受けて当たり前なのだ。
油断した呉兵は膝から力が抜けるように崩れ去り、地面に倒れた。
「はぁはぁ、すまねぇ・・・。女のお前に助けられちまったな」
「無事で良かったよ。でも、早く立って・・・いつ襲われるか分からないよ!馬超様が戻ってくるまで私達が呉軍を止めなくちゃいけないんだから!」
「民が撤退するまでか・・・ここで引くわけにもいかねぇな!」
絶体絶命の状況から脱した兵士は緊張が途切れたのか、膝から崩れるように地面に尻を付いてしまう。
緊張の一瞬だった・・・高鳴った鼓動を押さえ込むように荒く呼吸をし助けてくれた仲間、に感謝の言葉を述べる。
だが、ここは戦場・・・この場で大切なのは感謝を述べる言葉ではなく敵と戦い続ける事だ。は周囲に向けて槍を構え警戒をしていると、兵士は分かったように立ち上がり剣を手に持った。
達が所属する武将は馬超、涼州の有力者であり名の知れた武勇を持った馬騰の長男だった人だ。
まだ馬騰が生きていた頃、曹操との間で戦いが起こった。馬超は大軍を率いた曹操に対して騎兵を使い機動力に長けた戦いを仕掛け激しい猛攻を仕掛け曹操を圧倒した。しかし、騎兵は決定的な弱点は持久戦・・・曹操は防壁を作り固く守りじっくりと馬超達を攻めていった。
攻められず決定的な勝利を収められない日々、猛攻により疲れ果てた馬超達に襲い掛かるのは曹操の卓越された戦術だ。
謀臣、賈クの離間の計で馬超達が仲間割れをするように仕向けられてしまった。馬超達はそれが戦術だとは知らずに相手を疑い信じられなくなった。それから互いの勢力が分裂、統率が取れなくなっしまう。疲労も堪り統率の取れない軍など曹操に取ってはもはや赤子当然・・・曹操は総攻撃を仕掛け馬超達は敗走、見事曹操は勝利を収めた。
その後、曹操は馬超の親も一族も皆殺してしまう。仲間と血族を失った馬超は怒り復讐を誓うがこの乱世、一人で時代を動かせるほど容易いものではない。曹操に対して勝てぬ戦を仕掛けようとする馬超は一人では勝てぬ事を知り放浪・・・
疲労困憊した馬超は劉備の噂を聞き、劉備の配下となったのだ。
当初は曹操への復讐ばかりだった馬超だが、復讐する鬼の心は劉備とその配下の武将達と日々を過ごす中で薄れ生まれ変り今や蜀で名高く信頼される五大武将へと変わっていた。
そして今その馬超は親衛隊を連れて民の救援へと向かった。我を忘れた民を正気に戻す為馬超は民の下へ、残された兵士達は防衛を任され今ここで達は押し寄せる呉軍と戦い続けている。
『絶対に馬超様が戻ってくるまで、守るんだ!』
槍を握る手に力を込めは赤く染まる地面を蹴り駆け出した。は元々この世界の人ではなく遠い世界からやってきた者。この世界に来たのは10代になり立ての頃、本に書いてあった文字を読んだだけでここに来てしまった。
右も分からず左も分からず途方に暮れ過ごした数週間、一人で放浪し希望もなく歩き回っていた。
雨を凌ぐ屋根もお腹を満たす食事もなく、寒さを凌ぐ衣もなければ布団のある寝床もない。見知った人がいない場所では一人で数週間を生きていた。歩いても歩いても民家らしい民家は見えず、探しても探しても食糧は見当たらず・・・
空腹を満たすのは流れる小川の水と食べられるかも分からない草だった。
子供ながらに生きる為必死になったが、ある日突然体から力が抜けは小川の傍で寝そべった。一夜、二夜・・・
過ぎていく日を遠のく意識で数えて生きる、希望などなく何も考えられない・・・何も感じられなくなっていた。
涙も涸れ果て死を覚悟した・・・だけど、そんな自分を拾ってくれたのは戦いで傷つき曹操軍から逃げていた馬超だった。
抱えられ人の温もりの心地よさを始めて知った、声をかけられ始めて人の傍にいる喜びを感じた。
馬超は今にも死にそうな子を放っておけずを抱えて馬に跨り駆け出していった。
それからは馬超に連れて行かされるまま、劉備の下へとにやってきた。そして数年後、馬超は五大武将に・・・は兵士となった。
今の自分がいるのは馬超のお陰、こうして生きながらえたのもあの時馬超が拾ってくれたからだ。
その恩からは少しでも力になれるよう挙兵し馬超の下にいる・・・胸の奥に熱い想いを隠し続けて。
「隙ありっ!」
「しまっ!!」
戦場を駆け出すの左から呉兵が近づき剣を大きく振り下げてきた。唐突な事では驚いてしまい反応が遅れてしまう。力強く振り下げられた剣を避けようと足に力を入れたが間に合わず左肩に剣先が触れ赤い液体が目の前に飛び散った。痛みが左肩に走り顔を顰める、態勢も上手く取ることが出来ずは背中から地面に叩き付けられる。
「ぅっ!」
「死ねぇぇっ!」
背中に広がる鈍痛と肩から走る激痛がの思考を一瞬麻痺させた。痛みで顔を顰め仰向けになるに呉兵は容赦なく剣を振り下ろす。開けた目で見えた光景は腕を大きく振り上げ、振り下ろす敵の姿・・・
まだ何も恩を返して切れていないのにこのまま朽ちてしまうのはあまりにも無念だ。
は手に持っていた槍を両手で持つと、剣が振り下ろされる道を遮るように柄を構えた。
その次の瞬間、耳鳴りのような強い金属音が鳴り響り槍を持つ手に強い重さを感じるが・・・ここで負ければ馬超を守れずに死んでしまう、そんなのは嫌だ。
は必死になって槍を握り締め敵の猛攻を防ぎ始めた。
「くっ!・・・これで、どうだ!どうだっ!」
「くぅっ!!」
「観念しろ!早く・・・楽になれっ!」
全神経を槍を持つ腕に込め、自分よりも力強い相手の剣を受け止め続ける。呉兵は片手で左に右に剣を振り続け何とか槍を吹き飛ばそうとするのだが、槍は一向にの手から離れない。相手は女だ・・・
力を使えばねじ伏せられると思っていたが、そう簡単にはいかない。
連続で叩き込まれる剣を必死の思いで受け止め続ける、だが力を込めるほどに左肩に激痛が走り血が滲み出る・・・
痛くて痛くて仕方が無い。顔を顰めつつもは諦めずに相手の剣を受け止め続けた。
次第に槍を持つ手が痺れ力が込められなくなる、槍を持つ手は汗ばみ・・・死を目の前にした心臓は煩いほど鳴り響く。
「し、しぶとい女めっ!これで・・・仕舞いだっ!!」
剣を受け止めるも疲れるが、剣を振るっている呉兵も疲れるのだ。上がった呼吸を整えるように振り続けた剣を止め、刃が地面に向くように逆手に構えた。両手で握り締める剣先がの心臓へと向けられると呉兵は全体重を使い剣を地面に突くように落とした。
その剣先は真っ直ぐにの心臓を目掛けて向かったのに、剣先が付いたのはの体でも心臓でもなく・・・
何も無い固い地面だった。
「何っ!?」
「・・・隙ありっ!」
相手が大きく振りかぶった瞬間は体を反転させ突き落とされた剣先から逃れる事が出来た。
咄嗟の事で呉兵は戸惑い動きが一瞬止まった、その隙を見逃すわけも無くは片手で槍を握り締め力の限り相手の首筋に向けて突き刺した。
無防備な相手の首筋はの槍先から逃れる術も防ぐ術も無く、首筋から頭に向かって槍先は突き刺さった。
その瞬間、少量の血が飛び散り傷口からは血が溢れ出しゆっくりと呉兵を赤く染めていく。
「あっ・・・あ゛っ・・・」
声を上げられず、痛いと叫ぶことも出来ず呉兵は膝から崩れるように倒れた。
「はぁっ、はぁっ・・・立たなきゃ。馬超様が戻ってくるまで、立ち続けなきゃ・・・」
倒れた呉兵に目を向けることなくはゆっくりと立ち上がり呼吸を整えた。自分は兵士としてこの地に立ち武器を持っている、ならば成すべきことは一つだけだ。
突き刺した槍を抜き去ると血が吹き出て地面を染めるがは視線を向ける事も無く、真っ直ぐと地を見つめる。
人と人が武器を持ち戦い続ける、雄たけびが断末魔が世界を支配し意識すらも支配される。視覚も聴覚も嗅覚も戦色に染められるが・・・恐れはない。恐れこそが死そのものだから、恐れなど・・・必要ない。
赤く染まった槍を握り締め、顔にへばり付いた血を落とすことなくは恐れが渦巻く中心へ駆け出した。
この場を守るために、たった一人の兵士だけども・・・大勢の中の一人かもしれないがは進む。
だけど、可笑しい・・・戦いの事しか考えていないのに頭の中で昔の出来事が蘇ってくる。
懐かしいあの頃、まだ馬超と一緒にいた頃を・・・
曹操に単身戦いを挑んでは馬超はいつも後一歩のところまで追い詰めるのだが、曹操軍の防壁を目の前に志半ばのまま逃げ帰ってきていた。仲間を集めては曹操に挑む馬超、だが全てが上手くいかず相次ぐ敗走が原因で馬超への周りからの信頼も薄れていった。誰一人味方もいなく放浪していた馬超とは草原に座り馬の背を枕代わりに空を見上げた。
風は気持ちよく吹き付け曹操軍から逃げてきた疲労を少しずつ風が奪ってくれた。
「馬超、これからどうするの?・・・また、曹操っていう人に戦いを挑むの?」
「一族の無念を晴らすのが俺の正義だここで挫けてどうする、俺の槍はまだ曲がっていない」
戦いで疲労し切った馬超とその度に身を守るため戦を離れた場所で身を隠す、はこんな生活がずっと続くのではないかと不安に思っていた。帰ってくるとき馬超はいつも見ていられないほど傷だらけで戻ってくる・・・
それをいつも迎い入れるまだ幼いにとっては耐え難い悲しみだった。
隣にいる馬超に視線を向けは遠慮がちに尋ねるのだが、馬超は燃えるような目を空に向けて心は曲がらないと強い口調でに伝えた。
「私・・・馬超がいつも傷だらけで戻ってくるの、嫌だよ」
「傷は時が経てば治るものだ、治るものを気にする事は無い・・・だが、心の傷は癒えぬのだ。俺の治らぬ傷は最早曹操を打ち砕く方法に他はない。一族、兄弟、父の無念が俺の正義を駆り立て続けるまで俺は正義の槍を曹操に向け続けなければいけない」
震える声で訴えても馬超は首を横に振り曹操への復讐を語る。体の傷は時が経てば癒えるものだが、心の傷はいつまで経っても消えやしない。それは無念が心にしっかりと住み着いているから馬超はその傷が疼く限り曹操への復讐を誓い槍を向け続ける。
真っ直ぐしか知らない馬超の心にの言葉は届かない、どれだけ願っても天高く突き上がった馬超の正義は傍にいたの懇願する心すらも受け付けない。あぁ、駄目か・・・が諦めた時、の中で新しい道が開いた。
一瞬、それを考えたは戸惑ったが・・・自分にはそれしかないと思った。自分を拾ってくれた馬超に唯一出来る恩返し、真っ直ぐな馬超を止めるのではなく支えよう・・・そうは思った。
は立ち上がり馬超を見下ろした、突然のの行動に馬超は目を丸くして驚いていたが・・・
次の言葉にもっと驚く事になる。
「もう、馬超に何を言っても無駄だって思った・・・だから私も戦う!馬超が絶対生きて帰ってこれるように私は馬超を守る槍になるよ!」
「なっ!?」
「馬超の無念がなくなるまで、傷が癒えるまで・・・私、私!だって、馬超・・・助けてくれたもん・・・
死にそうになった私を助けてくれたもん。だから!私は、私は馬超を助けたい!」
震える声で震える身体で必死になって声を張り上げた。本当は恐くて恐くて仕方が無い、武器を持って人を殺すなんて今までだったら考えた事が無かった。だが、この時代・・・何も無い自分に出来ることは限られている。生きることを馬超頼みにしても、それは突き進む馬超の重荷でしかないと幼いながらもはそう思った。
真剣な顔を向けるの表情を馬超は驚き見続けていると・・・ゆっくりと立ち上がりを見下ろした。
「その思い・・・この馬孟起がしかと受け止めた」
「え?・・・許してくれるの?」
「の正義は俺には曲げられない、いいや正義は曲げていいものではない。正義とは思いのまま突き進むのみよ!
共に正義の槍でこの乱世駆け抜けるぞ!」
怒られるそう思い目を瞑っただったが、頭の上から降りてきた言葉は・・・が思っていた言葉とは逆のものだった。馬超はの言葉をそのまま受け止めを許した、だがは未だに信じられないように目を見開き驚き見上げた。
絶対に拒否されると思ったが馬超はどこか嬉しそうに声を上げ拳を空へ突き上げた。曲がる事のない突き上げた拳に宿るのは確かな思い、それぞれの思いだ。風が吹きつける草原で空に思いを託すようにも小さな拳を空高く突き上げた・・・
この伸びた腕がこの伸びた思いが曲がらないように真っ直ぐと。
正義を貫くとか言ってたけど、馬超も色々と先の事を考えていたみたいで・・・
私達は劉備様の下へ行って配下にしてもらった。
そこには温かい寝床もあれば食事もあり、何よりも涙が出るほど人が温かかった。
ずっと同じ場所に留まらず移動を続けていたあの頃の私達にとって、一つの地に留まり暮らすというのは
心から安心できた。けど・・・同じ場所にいるのに次第に私達は離れていった。
馬超は武将となって戦に頻繁に出て行きこの地に住む人達の為、仲間の為、劉備様の為にと
戦場を駆け出して行ったけど・・・まだ幼かった私は形としては兵士でいるものの
雑用とか補給兵とか戦とは無縁な日々を送っていた。
それが何年と続いた所為でもう昔みたいに一緒にいることは無く、顔を合わせる事も無かった。
馬超は名の知れた武勇の持ち主で私は馬超に付いてきただけのただの拾い子。
立場は天と地、もう手も声も届かない場所にいた。
そんな馬超が武将として登り詰めた後、やっと私は一般の兵士になった。
念願だった馬超の下で戦う事が出来て、本当に嬉しかった・・・
だけどもっと嬉しかった事は、離れて生きてきた私の事を覚えてくれていた事。
顔を合わせる機会がある時に一言、二言交わすだけだったけど・・・それでも十分すぎる事だった。
あぁ、私の事・・・数年経ち離れて生きてきた今でもまだ覚えていてくれていたんだ。
そう思うと心の底から嬉しい気持ちが込み上げて、それが何時しか恋になったのを私は知っている。
だけど、馬超は知らない・・・でもそれでもいいと思えた。
私は馬超との約束を果たせれば、それでいいと思っていた。
それだけが私をここまで生かしてくれた、たった一つの希望だったから。
その為に私は兵士になったのだから、それ以上は何も望まない。
正義は貫き通すもの、そう教えてくれたから・・・その生き方を私は望む――。
『・・・こんな時になんで昔の事、思い出すのかな』
槍を手に駆け出すは苦笑いを浮かべ昔を一瞬懐かしんだ。戦場で昔の事を思い出すなんて・・・
まるでこれから死にに行くようなものではないか。そう一瞬考えが顔を上げた時だった、遠くの景色が砂埃で覆いつくされている光景を見たのは。
粗方、呉軍の兵士達を片付けた蜀軍の目の前に現れた砂埃・・・それぞれが武器を止めその砂埃を見つめていた。何故か嫌な予感がする、空気が肌を痛く突き刺すと冷や汗が吹き出てきた。まだ姿など目に見えぬがやってきた方向、そして微かに見える赤い旗が教えてくれる。
も蜀軍の後方で立ち止まり砂埃を見つめていた、それだけで体が震え冷や汗が槍を握る手の平を湿らせる。
恐れなど捨ててきたはずなのに、本能が恐いと叫ぶように体に悪寒を走らせた。地面を揺らしながら近づく砂埃、耳を傾ければ強風が吹き荒れるような鈍い音が聞こえた。だけど、それが風の音だとは誰も思わない・・・
それは地を駆け出してくる呉軍の兵士だと誰もが理解した。
「援軍だ!!呉軍の援軍が来たぞ!!」
「な、なんて数だ・・・これでは、押されてしまう!」
一人の兵士が声を上げるとそれに続いて周囲は戸惑いの声を上げた。一人、また一人と一歩、一歩とゆっくり後方に下がっていく。身が竦むような雄たけびが聞こえると、顔色が変わり口を噤んだ。
先ほどまでの威勢も無くなり皆が恐怖で顔が引きつっている。
地面を揺らし駆けて来る呉軍の騎馬兵部隊と歩兵部隊・・・数では圧倒的に呉軍の優勢だ。
目の前の敵に怯える兵士達をこの場を任せられた兵長達が慌てて声を上げた。
「恐れるなっ!この場を守りきらずにどうするっ!この先には馬超様が、そして白帝城があるというのだぞ!」
「武器を持てっ!屈するな!突き進めぇぇっ!!」
声を張り上げ怯える兵士達に渇を入れる兵長達、槍を掲げ戦意を高めようとするのだが・・・その声は兵士達には届かない。この場を守らなければいけない事は百も承知だ、だが・・・本心が逃げろと叫ぶ。
目の前に迫る呉軍に戦意など薄れてしまうのも当然だ。
大勢いる中の一人の兵士が武器をその場に落とし呉軍に背中を向けて駆け出していった。一人の兵士が逃げるとまた一人、また一人と兵士達はその場から逃げ去っていってしまう。後方にいるは逃げ出す仲間を見つめ呆然とした・・・なんで敵を目前にして逃げるのか分からなかったが、本能だけがそれを理解した。
自分の横を逃げ出す仲間に声をかけられず、逃げ出していく彼らを止められず・・・一人で立ち続けた。
視点が定まらない視界の中、逃げていく一人の兵士の顔が見えた。恐怖に怯え、必死になって早くこの場から離れようとするその兵士は先ほど助けた仲間だった。
武器を捨てて人を掻き分け逃げる姿に蜀の兵士としての誇りは感じられない、何よりも守るよりもわが身が大事・・・
その本心の自我が見ているだけで理解出来てしまう。自分の横を通り過ぎていく仲間、自分には気づかずに真っ直ぐ逃げていく仲間・・・
「・・・無情だなぁ」
思わず漏れた言葉は相手に対する言葉かそれとも自分に向けた言葉だろうか?はっきりしないが顔が自然と苦笑いを浮かべていた。他人は自分とは違う、そんなものは当たり前・・・だからそれぞれ生き方も正義も違う。
自分の横を通り過ぎていく仲間に目もくれずは槍を強く握り締めた。
目の前には250人を軽く超える呉軍の部隊が武器を掲げ迫ってくる、こちらの数は150人を切っている・・・
相手の方が有利なのには変わりない。地面が揺れる振動を足で感じ、雄たけびの大きさで敵の多さを感じ、仲間の動揺する姿を見て勝機は薄れていく・・・だが、には恐れなどない。
一歩、一歩向かってくる呉軍に一人で足を運ばせ、槍先を空へ向ける。こみ上げてくるのは蜀への熱い忠義心。
胸の奥から溢れてくるのはここまで生きた日々への感謝、頭の中で強く浮かぶのは・・・馬超の姿。
自分は何の為にここにいて武器を持っている?武器は何のためにあるべきだろう?自分のこの手は、この足は心に存在する改革された正義と連動するように動き出した。
"正義とは思いのまま突き進むのみよ!"
頭の中で響くのは馬超の言葉、それを思い出しは少し笑った・・・
「正義は曲げるものじゃないけど、正義っていつの間にか・・・周囲の環境のお陰で変わるものだったよ」
昔も今も馬超への思いは変わらない、助けたい、力になりたい、支えになりたい・・・その思いは変わらないがいつの間にかその思いに違う思いも重なった。蜀に来ての生活はとても充実し温かい場所だった、そこで接した人達・・・口煩い上官や文官、一緒に騒いだ兵士達、少しだけ憧れた女官達・・・そしてわが身を捧げる武将達。
全てを守りたい、欲張りだっていい全部守り通したいと思えるようになった。それは今逃げ出した兵士達も含めて守り通すという意志・・・それが今のの正義。迫り来る呉軍に向ける足を速め、は大きく息を吸い込んだ。
「・・・蜀軍万歳っ!!馬超様、万歳ーーーっ!!」
相手に恐れる事なかれ、自分は誇り高い蜀の兵士・・・人徳に溢れた今亡き劉備に仕え、そして今は劉禅に仕える一兵士。
は声を上げて全力で一人駆け出した。唖然とする兵士の間を通り抜けは叫び声を上げながら一人で呉軍に向かっていく。
大地を駆け抜け一人軍勢に向かう姿は周囲の兵士の心も突き動かした。
「・・・に続け!!我らが戦わずしてどうするっ!!突き進めぇぇっ!!」
「蜀に栄光あれっ!」
「槍を掲げろ!声を上げよ!怯まず大地を駆け抜けよっ!!」
を知る兵長が声を上げ駆け出していくと、他の兵長も声を上げて武器を空に向けた。すると、今まで戸惑っていた兵士が嘘のように威勢のいい声を上げ一斉に大地を駆け出した。今まで遠くで感じていた雄たけびが大地を駆ける振動が身近にあると、なんと心強い事だろうか・・・
が呆気にとられ周囲に目を向けてみると、皆が武器を持ち自分より早く呉軍に立ち向かって行った。怯まず真っ直ぐ槍先を呉軍に向けもそのまま駆け出した。すぐ、目の前には呉軍の軍勢が武器を振りかざし接触の時を待っていた。
大地を駆け抜ける蜀兵は自慢の槍を握り締め駆け出してきた騎馬兵に向けて鋭く突き刺した。
槍先は馬を貫き、呉兵の胸も貫いた。しかし、それは一部の成功例でしかない・・・他の蜀兵達は走りこんできた騎馬兵に吹き飛ばされてしまったのだ。地面に転がる蜀兵に向かうのは呉の歩兵部隊だ。雄たけびを上げ剣を空に向けて掲げると、逃げる事も抵抗する事も出来ぬ蜀兵に向けて剣先を突き刺した。辺りから響く耳を塞ぎたくなるような断末魔、だがその断末魔も兵士達の雄たけびで直ぐに掻き消された。
その中で一番に駆け出したも呉軍の騎馬兵と対峙した。目の前から馬を駆け出し剣を構える呉兵に躊躇わずは槍先を突き出した。
「ぅああぁぁぁぁっ!!」
声を上げ全身全霊をかけては槍先を馬の胸に突き刺した。深く突き刺さる槍先に堪らず馬は声を上げ後ろ足で勢い良く立ち上がった。その所為で乗っていた呉兵は背中から地面に叩き落とされ隙を作ってしまった。
地面で倒れる呉兵に向けるのは赤く染まった槍先だけ、それ以外何もない。両手で柄を握り締めたは腕を振り上げ槍先を呉兵の心臓に激しく突きたてる。
顔を歪ませ叫ぶ呉兵、は直ぐに視線を上げ槍先を抜き駆け出した。目の前に迫り来る騎馬兵に向けて駆け出す数十名の蜀兵にも加わり、兵長の合図と共に槍先を突き出す。
「怯むなっ!!槍を前へっ!!」
「おぉぉぉっ!!」
「あぁぁぁっ!!」
同時に出された槍先と雄たけびは馬を怯ませ、騎馬兵の突撃は時が止まるように動かなくなった。
馬の持つ機動力で相手を怯ませようとした呉軍だったがそれは失敗に終わってしまう。相手が怯んでいる絶好の機会を見逃さずに蜀兵は全力で駆け出し立ち向かった。数十名の蜀兵が槍先を騎馬兵に突き出し、馬や人に容赦なく突き出していく。
馬と人の甲高い声が響くが誰も気にしてはいない、刺しては抜いて・・・新しい敵を求めるように槍先は常に空を彷徨った。
このまま押し切れば数で勝る呉軍に勝てる、そう騎馬兵と戦っていた蜀兵は思っていたが・・・その騎馬兵の後ろから援護のように歩兵部隊は剣を手に持ち駆け出してくる。騎馬兵で足を止められた達は駆け出してくる歩兵部隊に顔を歪ませたが、誰一人怯む事はなかった。
は駆け出してくる歩兵部隊に向かっていく、誰かが止めなければ相手が押し切ってしまう・・・
そう思い騎馬兵の間をすり抜けと同じ考えの三十数名の蜀兵が果敢に立ち向かった。蜀兵は槍を呉兵は剣を力の限り振り下ろすと、辺りに武器が激しくぶつかり合う音が響いた。
あちこちから聞こえてくる金属音、気迫の雄たけび、地面を叩くような大勢の足音、その中にはいる。
目の前にいた呉兵に向けて槍を振り下ろしたが、呉兵はそれを受け止め力の限りの槍を押し返そうとしていた。
力の差はあろうともなんとか活路を見出したい、はゆっくりと押し返される槍を見つめながらそう思っていた。
だが、そんなに傍にいた騎馬兵が二人の押し合いに気づき近づいてきた。剣を握り締め呉兵と押し合いをするに騎馬兵は容赦なく剣を振り上げた。
「はぁぁっ!」
「ぐあぁっ!?」
だが、その剣はに向けて振り下ろされずその前に兵長の槍が呉兵の胸を突き刺していた。兵長は突き刺した槍を直ぐに抜き取ると今度はが対峙している呉兵に向けて槍を突き刺した。目の前で呉兵は苦痛に顔を歪ませ膝から力抜けるように地面へと倒れた。
「敵は一人ではないぞ、周りを見ろ!」
「は、はいっ!」
「・・・行くぞ!蜀の為、馬超様の為だ!」
「・・・はいっ!」
周囲を見渡しながらの兵長は厳しく叱りつけたが、が返事を返すと満足げに顔を緩ませ槍を振り回し先に駆け出して行った。自分の為にここまで駆けつけ助けてくれた兵長、心が熱くなり闘志が湧いてくるようだ。
まだ自分はいける、そう思い兵長の後を追っていくだったが・・・達の前に現れたのは五十を越える剣を持った呉兵達だ。
それでも先頭に立つ一人の兵長は怯まず、兵士達に道を作った。勇猛果敢に槍を振り回し、突き出し兵長は達の目の前で戦い続けた。だが、その姿が段々集まっていく呉兵によって遮られると・・・兵長がいる場所から一つの叫び声が聞こえた。
聞き覚えがある声には訳も無く駆け出した。絶対にあって欲しくないのに、それが現実だともう一人の自分は言う。
胸が強く締め付けられ息をするのも苦しい、どうか・・・現実には現れないで欲しい。強く願っていたのに地面に横たわる兵長の顔を見て、全身から血の気が引いた。
駆け出していたも立ち止まり兵長の顔を凝視した、もう動かないもう目を開く事もない・・・自分を叱りここまで育ててくれた恩師だったのに、憧れるほどに強かったのに・・・何故そんな人の最期はこんなにも呆気ないのだろうか?
血の気が引いたの体だったが、今度は血が逆流するような感覚に囚われ怒りが込み上げてきた。
それはだけではなく、ここまで駆け出してくれた蜀兵も同じ。それぞれが槍を強く握り締め表情が険しくなっていく。
一歩強く踏み出すと、合図した訳でもないのに一声に声を上げ達は駆け出した。雄たけびを上げて血走った目を向け、荒れ狂う嵐のように槍を振り回した。
それはとて同じ事、も一心不乱に槍を振り回し呉兵と戦った。だが、意思のない槍は敵を捉えることなく空を斬り体力が落ち隙を作るだけだった。呉兵は冷静に蜀兵と対峙し槍の間合いに入らぬように後退を続けた。
槍を振るっても相手を捉える事も出来ず頭に血が上る蜀兵達と、次第に彼らを取り囲む呉兵は増え騎馬兵も彼らを閉じ込めるように集まってきた。
「はぁはぁっ・・・そ、そんな」
「くっ、迂闊だった!」
「畜生!・・・折角命を懸けて切り開いてくれた道だったのにっ!」
周囲の変化にはやっと槍を下ろし確認した、逃げ道無く囲まれた自分達の状況だった。頭の中で先ほど言われた兵長の言葉が響くと、戦意が闘志がだんだん小さくなっていく。唖然とするの周りでは兵士達もやっと気づき始め囲まれた状況に悔しそうに顔を歪ませた。
じりじりと迫り来る呉兵と騎馬兵、向けられる剣先は無数。それでも達は諦めず槍を構える。
例え死んだとしても只では死にたくない、せめて出来るだけの呉兵を道連れに・・・少しでも敵の数を少なくする為に敵を睨み槍先を向けた。
向けられる剣先が多くとも皆が武器を捨てずに最期まで戦い抜こうと力を入れると、も槍を持つ手に力を込め大きく息を吸い込んだ。
「命尽きようともこの槍は離さない!この身、この戦で全て捧げる!!」
馬超に託された戦だ恥じぬように戦い抜く、それが例え命尽きようとも構わない。馬超の為ならこの命もこの身も戦で捧げても構わない。声を上げ自身の正義を高々と叫び相手を威圧する、死を目前にした者の力は計り知れない・・・
体に剣が突き刺さろうが、腕を斬り落とされようが、立ち向かっていく気迫が呉兵の肌に強い刺激となった。
の叫びに続き他の蜀兵も雄たけびを上げ、そしてと同時に地面を蹴った。死をも恐れぬ蜀兵は鋭い形相をし槍を握り締め囲む呉兵に立ち向かっていった。
「ひ、怯むなっ!相手は追い詰められた一兵士共だっ!!かかれぇぇっ!!」
猛攻をしかけようとする蜀兵を目の前にして呉兵長が裏返った声で指揮を執った。その声に我に返った呉兵は気を取り直し剣を握り締めて目の前から迫り来る蜀兵を迎え撃った。散らばった蜀兵は怒涛の槍撃を繰り返し囲んでいたはずの呉兵を押していく・・・辺りから聞こえる激しくぶつかり合う金属音、雄たけび、そして断末魔・・・
は周りの音を気にせず目の前の呉兵を槍で突き刺していく。
飛び散る血が辺りを赤く染め、生臭い匂いが漂ってくる。これが今生きているという実感、この耐え難い感触がこの匂いが今のにとって生を感じる唯一の感覚。生きている限り槍を振るおう、この感触がこの匂いが途絶えた時それが自分の死になるだろう・・・頭の隅でそう思いながらもは一心不乱に槍を振るい続けた。
周りから仲間の叫び声が苦痛で上げる声が聞こえようともは槍を握り締め、一撃ニ撃と繰り返していく。
目の前の敵にだけ集中し槍を振るう、だから近づいてくるあの音に気づかなかった。
遠くからやけに大きな馬の蹄の音が響き、人気は大きな雄たけびが聞こえる。歓声のような声が響くと視線の端で呉兵が飛ばされる光景が見えた。豪快に飛ばされる呉兵、その中心に眩しく光る金色が一つ・・・
見覚えのある光には驚くように顔を上げた。
「我が正義の刃、とくと見よ!」
遠くから聞こえてくる叫び声は聞き覚えがあり過ぎて思わずは振るっていた槍を止めてしまった。
いや、その場にいる全員がその声が聞こえる方向を向いて一瞬だが戦いは止まってしまったのだ。
兵士の海を切り開くように光り輝く金色の兜、力強く走る馬に乗り・・・五大武将、馬超がこの地に戻ってきた。
数十名の親衛隊を連れた馬超は呉兵に怒涛の突撃をし次々と呉兵達を吹き飛ばしてきた。
「ば、ば・・・馬超だ!錦が戻ってきたぞ!!」
「くっ!撤退、撤退だぁぁぁっ!!皆、引き下がれぇ!!」
馬超という存在が呉兵に恐怖を植え付けた。騎馬兵長が声を上げすかさず撤退命令を出すのだが・・・
足が早いのは馬超とその親衛隊だ。鍛え抜かれた馬に乗り鍛え抜かれた親衛隊から呉軍は撤退する事は出来ない。
馬超が手で親衛隊に指示を出すと、親衛隊は左右、そして真ん中の3つに別れ呉軍を引き裂いた。
中央を走るのは馬超、馬超が通った後には必ず地面に呉兵が倒れていた。圧倒的強さ、桁外れの馬術に武術。
やはりこの人がいないと戦に花は飾れない。蜀兵から歓声が響き、その場は蜀が優勢となった。
真っ直ぐ駆け出してくる馬超を呆然と見つめる、願っても無い登場に心が動揺しているようだ。
自慢の馬で駆け自慢の槍で敵をなぎ倒す、こんな近くで目の前で馬超の勇姿を見るのは初めてだった。
「・・・本当に強かったんだね」
思わず言葉が口から漏れた。強いのは知っている、本当は称えるべきなのに・・・心が少し寂しいと泣いた。
本当にもう手が届かない程馬超は強くなり、そして偉大になった。放浪の時は一緒にいたのに、今ではそれが無理・・・
戦中こんな事考えまいと思っていたが、勝手に考えてしまう。
先ほどまで一心不乱に槍を振るっていたのに、今では馬超から目が離せない。こうも、一人の存在に意識が直ぐ変わるものなのだろうか?っとは苦笑いをした。
「皆、遅れてすまなかった!民達は無事俺が戻れと説得したので安心して欲しい!」
残った呉兵を親衛隊に任せ馬超は声高々に任務の成功を伝える、するとその話に蜀兵達は嬉しそうに声や手を上げ喜びを分かち合った。その中、馬超は状況を把握しようとゆっくりと馬を歩かせ周囲の様子を見回った。
ゆっくりと近づいてくる馬超に慌ててはずっと向けていた視線を慌てて逸らした。
だが、その挙動不振な行動が目に入ったのか馬超は視線を向け・・・その人物がこの場にいた事に驚き声を上げた。
「おぉっ!ではないか!」
「え・・・あ、はい。馬超様、無事でなりよりでございます・・・」
「他人行儀な事を言うな、何か変な感じがする。だが・・・そうか、生き残ってくれていたか」
それがだと知ると馬超は声を上げ近寄った。近づく馬超に慌ててが膝を付き頭を下げると馬超は苦笑いを浮かべ頬をかいた。少し照れくさそうにはにかむと、頭を下げ続けるを見下ろし穏やかに微笑んだ。
いつ命を落としても可笑しくないのに、はここまで生き残ってくれた・・・それが馬超にとって嬉しい事である。
周りの兵士達が喜び浮かれる中、馬超は馬から降りの腕を掴み無理やり立たせた。
「怪我はしているが無事で何よりだ、お前を失いたくないからな」
「え・・・?」
を眺め満足げに頷く馬超は意味深な言葉を口にした。その言葉にはっとは顔を上げ妙な期待が胸の奥から込み上げてきた。すると、戦の時のような居心地の悪い鼓動ではなく・・・少しだけ居心地がいい鼓動が鳴り響き、力を込めて手を握った。
「お前は俺の大切な家族だからな」
「あ・・・はぁ、家族・・・ですか・・・」
「あぁ!共に放浪し苦楽を共にした大切な家族だ!俺の部下、皆が家族よ!家族は失いたくないからな!」
これ以上望まないと思ったのに思わず期待してしまう言葉受け良からぬ想像が頭を過ぎった。だが現実とは想像の半分にも満たない事ばかりだ。満足げに言葉を口にした馬超はもそして他の部下達も家族と一つの絆で囲い声を大にして宣言した。
これ以上何も望まないと思っていたのに、少しだけ期待してしまった自分には呆れた。
それに戦中だというのに自分は何て事を考えてしまったんだ、は頭を抱え疲れたように溜息を吐いた。
うな垂れるを見下ろした馬超は一言だけに言葉を託した。
「だが、一番はお前だ。俺はあの時の時間もあの誓いも忘れてはいない、一族と親を失った俺を支えてくれたお前だからこそ俺の一番の家族だ」
「・・・・・・」
「戦が終わったら、少し話をしよう。それまでは・・・絶対に死ぬな、約束だ」
遠くから聞こえてくる呉軍の大軍勢の音が響く、周泰が率いてきた援軍は数え切れないほど数だが蜀兵は全く動揺しない。その中で馬超は大切な事を伝え、直ぐに馬に飛び乗った。皆が家族でも、一番はなのだと。
それは絶対に変えられない事実。
馬超の真剣な眼差しがに突き刺さり、は動けなくなった。戦中に不謹慎だが、どうしようもなく胸の奥が熱くなった。
近づいてくる呉軍に皆が視線を向け整列しているのにも関わらず、はずっと馬超を見つめたまま動かなかった。
視線の先の馬超は軍の前にその姿を現すと、蜀兵達に向かって声を上げた。
「今は亡き劉備殿に俺はここで宣言する!劉備殿の仁と義、この馬孟起がしかと受け継ぐっ!!
そして、皆との絆の結晶を無駄にはせん!!俺と共に正義の刃を空へ、敵へ掲げよ!」
声を上げ士気を高めようと馬超は胸に秘めた決意を言葉にした。馬超もまたと同じく正義が変わってしまった・・・
恨みや復讐の為に槍を振るった過去とは別れ、今仲間の為国の為に槍を振るおうとしている。空高く突き上げた槍が日の光を浴びて眩しく輝くと、兵士達も声と槍を掲げた・・・命を捧げる覚悟だ。
「我ら正義の刃、天高く劉備殿に届けるぞ!!吼えよ、我らが蜀の槍よっ!!」
空高く突き上げる槍と志、生まれ変わった馬超は復讐の為ではなく・・・仲間の為、国の為にその身を捧げようとしている。
その姿には驚きつつも、少しだけ可笑しそうに笑った。
「馬超も・・・正義、変わったんだ」
その表情はどこか嬉しそうに微笑んでいた。あぁ、自分ではなかった・・・あの日々は決して無駄ではなかった。
馬超の変わった姿を見ても考えを改めた。
この人は絶対に死んではいけない人、蜀を支えるのに絶対に必要だ。自分の命を捧げても守らなければいけない。
それは約束を破ってでもは戦う覚悟だ。
「・・・約束守れないかもしれない、馬超の為なら・・・」
昔に消え去りそうになった命、それを少し長引かせてくれたのは馬超であって自分ではない。だから、この命は馬超の為にあるべきだ・・・だから、この命が馬超の為に尽きようとてそれで本望。
「絶対に私は馬超の後でなんて死なない、私が死ぬのは・・・馬超が死ぬ前だから」
守りたいと思った人が先に死んでしまっては本末転倒、それこそ無念で仕方が無い。は馬超より後で死ぬ事を考えず死ぬのであれば先がいい、死ぬのであれば守りきりたい・・・強くそう思い、は顔を上げ迫り来る呉軍を見つめた。
戦いはこれからが始まり、戦いはこれからも続き、戦いには終焉がない。揺れる地面、高鳴る鼓動の振動が体の感覚を研ぎ澄ませ、響く声、鳴り止まない足音が意識を覚醒させる。これから自分は馬超を守る槍となり――
この身が朽ちて果てるまで戦い続けるだろう。
さぁ、戦いはこれからだ。その身が思いが尽き果てるまで駆け抜けよ、その命が尽きるまで捧げよ!
お前は槍となり、お前が持つ曲がらぬ只一つの真実である正義を守れ。
執筆者 : COCO様 サイト : ハイカラ様
*** 作者様後書き ***
長文でお疲れだと思いますが最後までお読みくださってありがとうございました。
今回、無双夢で執筆させて頂きましたCOCOと申します。
まず夢小説らしい夢を執筆出来ずに大変失礼しました。以前から戦物ばかり執筆していた所為か執筆し慣れた重い話になってしまいましたが、少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
少しでもこの話を読んで戦描写に興味を持って頂ければと影ながら期待していたりします(笑)
この話は兵士視点での戦描写を中心に執筆しました。私も中々兵士視点での戦は執筆した事がないのでとても楽しく充実した執筆時間でした。
ヒロインがあまり活躍させて上げられなく申し訳ないです、どうも周りの状況を書いていきたい性質なのでお許し下さればと思います。馬超も少ししか登場なかったので、あまり絡ませられず・・・足りなかったところはどうかご想像で宜しくお願い致します。
題名についてはヒロインや馬超に限らず、話に登場した全ての人が対象になるように付けさせていただきました。
劉備にも孫権にも陸遜にも、そして民にも兵士にもそれぞれの正義の刃・・・形は違えど確かにあると思い本当に纏めきっていませんでしたが、執筆させて頂きました。
では、これ以上長くなると語ってしまいますのでこの辺りで失礼します。
最後にこの企画を運営して下さっている安土焔様、素敵な企画をありがとうございました!
この素敵な企画に参加でき、本当に良かったです!
読んでくださった方、そして安土焔様・・・本当にありがとうございました!
ブラウザを閉じてください。