ふと気が付けば指先を見ている事が多くなったと言われた。
泥酔した呂蒙を送り、寝台に引き込まれて二人して寝入ってしまった宴の夜。あれから何日かが経っていた。





















「ほら、また見てる」
凌統に言われてハッとなる。指摘された時には自覚が無かったが、他人から見ればかなり頻繁らしい。
「そんなに多い?」
「多いも何も、気が付けば見てるって感じかな」
「そう…」
は視線を落とす。そんなに凌統は悪戯気味に声を掛ける。
「いっその事、打ち明けてみるとか?」
「な、何…を?」
誤魔化すように問い返すの耳元に凌統は囁いた。
「呂蒙さんに、さ」
途端に頬を真っ赤に染め上げる
(なんつうか、年上とは思えない反応するんだよねぇ…この人は)
年はの方が一つ上、しかし色恋に関してはかなりの奥手。脇目も振らずに知略を学び、武芸を磨いて一人前の将にはなった。
その反面、年頃の娘らしい事には無頓着で、流行の香や髪形や着物などの類いはにとっては未知の世界。恋愛などは別次元の話なのかもしれない。
そんなが呂蒙に恋心を抱いていると気付いた時、凌統は正直驚いた。
「ぐずぐずしてたら、誰かに取られちまうかもよ」
「…でも…私の気持ちなんて…ご迷惑なのかも…」
「そんな事無いと思うけど…あれから何か言われたとか?」
「何も…」
「……は?何…も?」
目を伏せたに凌統は思わず大きな声で聞き返す。ひとつ小さく息を吐くとは微笑んだ。
「仕方ないわ、お忙しい方だし…」
「忙しくても関係ないだろう、惚れた相手に割く時間なんてちっとも惜しくないもんだと思うんだけどなぁ」
「呂蒙殿は軍師の任がお在りなのよ?だから仕方ないのよ」
「仕方なくないっつうの」
「私の気持ちを押し付けるだけなんて、ご迷惑をかけてしまうだけだわ」
「でもさ…」
そこまで、と言わんばかりにの掌が凌統の額を軽く叩いた。
「仕方がないの……分かった?」
は子供に言い聞かせるように凌統に首を傾げて笑いかける。その表情に凌統は言葉を詰まらせた。
「この話はこれでお終い。じゃあね、凌統」
鍛錬場を後にするの背中を見送り、凌統は呂蒙の元へと足を向けた。

「呂蒙さん、ちょっと顔貸してください」
呂蒙と、その隣にいた陸遜が呆気に取られている。凌統は室内へと進み、呂蒙の前で止まる。後ろで陸遜が何かを言っているが気にしていない。呂蒙は驚きながらも凌統の表情に只ならぬ物を感じた。凌統は呂蒙にだけ聞こえるように囁いた。
「ちょっと付き合ってくれない?…さんの事なんだけど」
流石に呂蒙も息を呑む。呂蒙は凌統に短い返事をすると陸遜に直ぐ戻る、と言い残して部屋を後にした。

「俺、まだるっこしいのは嫌だから完結に言うわ」
城内で人気のない場所を選ぶと凌統は早速本題に入った。
「呂蒙さん、あんた…さんの事、どう思ってるの?」
直球すぎる質問に呂蒙はたじろいだ。たじろぎながらも顔はしっかり赤い。なんとなくと言わなくても答えは出ていた。凌統は大げさなくらいに溜息をついた。
「だったらさぁ、とっととさんに言っちまったら?」
「し、しししししかし、俺の気持ちなんて迷惑かもしれんだろう」
「……はぃ?今、何て…?」
程の器量と才があれば俺なんかより…もっといい奴がいるだろう…」
「…それ、本気で言ってんの?呂蒙さん」
凌統は眉間に皺を寄せ、鋭い視線を呂蒙に向ける。
さんは他の奴なんかじゃなく、あんたが良いんだよ。あんたがそんな弱気でどうすんのさ。さんを狙ってる奴がこの城にどれだけ居るか分かってんの?」
「凌統…」
「迷惑だ何だってまごついてる間に、どっかの馬鹿に取られたらどうすんのさ」
尚も黙っている呂蒙に凌統は背を向ける。
「あんたが動かないっつうなら、俺だって考えさせてもらうよ」
顔だけを呂蒙に向けて不敵に笑ってみせた。
「あの人に対する年期なら、俺は誰にも負けないからね」
その強気の表情に思わず呂蒙は凌統へと踏み込み、力を籠めてその肩を掴む。そんな呂蒙を見た凌統は一変して満足気に柔らかく笑う。
「それだけ本気なら、さっさとさんに言ってくれない?」
再び呂蒙へと向き合う。
「何かっつうと最近よく手を見てるんだよね、あの人」
「手を?」
「そ、あの朝に誰かさんと重ねていた手を、さ」
ニヤリとからかうように凌統が笑う。再び呂蒙が顔を赤く染めた。何かを言いたそうに口を開けては俯き、考え込んではを繰り返す。それを何回か繰り返した後、呂蒙は凌統へ背を向けて歩きだした。ふと立ち止まり、凌統に振り返る。
「世話を…かけた」
そんな呂蒙に皮肉を込めて激励の言葉をかける。
「万が一振られたら、酒でも奢りますよ」
「散財させてやるから覚悟しておけ」
呂蒙もまた皮肉を込めて言葉を返した。


手を振り、呂蒙を送り出した凌統は壁にもたれると、そのまま地面へと座り込んだ。
「俺って…すっげぇお人好し…」
空を見上げて呟いた。そんな凌統の横から声が掛かる。
「本当に、馬鹿だな。お前」
「お前さんには言われたくないね」
うるせえ、と甘寧が短く反論するが普段の勢いは無い。
「余計な事をして下さいましたね、凌統殿」
「言ってろ、さんの悲しむ顔を見るくらいなら俺はこっちの方がマシなんだっつうの」
気持ちは分かりますがね、と陸遜が溜息をつく。
三人で座り込んで同時に空を見上げ、同時に大きく溜息をついた。
「よし、今夜は飲むか」
甘寧が膝を叩いて切り出すと陸遜も同意した。
「いいですね。たまには付き合いますよ」
「じゃあ、言いだした奴の奢りっつうことで」
「それは名案ですね、凌統殿」
「ちょっと待て、お前らっ!なんか間違ってるだろうが!」
甘寧の抗議の叫びを無視して凌統と陸遜はさっさとその場を後にしたのだった。

は執務室で提出する書簡を纏めていた。これらを呂蒙の元へ提出するだけで、いつもならば呂蒙に会えるので捗る仕事なのだが、今日は何となく気が重かった。

忙しい方だから、仕方ない…

凌統に言った自分の言葉が胸に引っ掛かっていた。心の中で言い聞かせるように繰り返していた言葉も実際に口から出してみれば何と重いのか…あの時に交わした感触と温もりを思い出すかのように何度も指先を見ていた。それだけで自分が呂蒙をどう想っているか分かりそうなのに、断られるのが怖くて忙しいという言い訳に逃げていたのだ。
書簡の束を見ながら考え込んでいただが、とりあえず仕事を優先させようと立ち上がった。

、いるか?」
突然の呂蒙の声にはただ驚いた。つい今まで呂蒙の事を考えていたのだから無理もない。扉を開けて呂蒙を迎え入れたは、息を切らせているその姿に驚いた。いつもの呂蒙からは考えられなかった。
「な、何かあったのですか、呂蒙殿…もしや、甘寧殿のこの書簡、急ぎの分だったのでしょうか?」
「い、いや…そうではない…書簡では…ないのだ」
直ぐに息が整わないのか途切れがちに話す呂蒙にお茶を入れます、と背を向けようとしたの手を掴む。
あの時、触れていた方の手を。
「…呂蒙…殿?」
突然の事に困惑し、頬を染める。少しの沈黙の後、意を決した呂蒙は口を開いた。

「…、俺はお前を…その…一人の女性として見ている。俺は…この通り器用な男ではないから、お前に気の利いた事もしてやれないし言ってやる事も出来ないかも知れん。だが…お前がそんな俺を受け入れてくれるのなら…俺は…」
呂蒙はを真直ぐに見つめた。
「俺は…お前をこの先ずっと大切にしていきたい」
の視界が涙でぼやける。
「お前が望んでくれるのなら、俺の傍に居てくれないか…
「呂蒙殿…私などで…宜しいのですか…?」
「俺はお前以外望まない」
呂蒙はの瞳から溢れる涙を拭うように頬に手を滑らせた。暖かく、大きな呂蒙の掌には瞳を閉じて柔らかく微笑む。
それにつられるように呂蒙も微笑み、の頬へそっと口付けた。
それに驚いたが反射的に呂蒙を見上げると、呂蒙は腕の中にを閉じ込めた。
「りょ…呂蒙殿…」
……今…俺の顔を見ないでくれ」
「……え?」
「多分…いや、幸福が過ぎて確実に情けない顔をしていそうだ…」
とにかく顔が火照って仕方が無い。そんな呂蒙の言葉に再び微笑んだはその大きな背に、そっと腕を回した。
「お前が好きだ…
「私も…ずっとお慕いしていました…呂蒙殿…」
あの朝指先だけで交わした温もりでは足りずに、言葉での証を望んでいた。想いを込めた言葉は熱を伴って指先まで染み渡り、互いの体に伝わる温もりが呂蒙とを優しく包み込んだ。

その後…に思いを寄せる輩から呂蒙はしばらくの間、ちくちくと嫌味を言われ続ける事となった。






― 劇終 ―




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