おとなげない人

 今夜の星祭を、何日も前から楽しみにしていたが、出かける間際になっても部屋から出てこない。そのために凌統は呆れつつも不思議に思いながら、許婚者を迎えに行った。明るいことの大好きな彼女は、こういう時はいつでも誰よりも早く行動するのである。
 夕暮れに虫は庭で鳴く。面した廊下に格子戸を開けっぱなしにして、部屋の中はひどく荒らされていた。引き出しも鏡の前も物が散らかって、その部屋の主はというと、隅で丸っこくなって何かを探している。
。何やってんだよ」
 足の踏み場に困りながら奥へ進んでいくと、は埃まみれの顔を上げて鋭い目で言い返した。
「凌統様〜、ないの」
「は?」
「ないの〜、凌統様〜」
 泣きそうな顔で訴えてくるが、何がないのか、話の呑み込めない彼は呆れた視線を許婚者へと注ぐ。――「何がないんだよ」
 そう訊ねたにも関わらず、は顔をそむけてまた手を動かし始めた。言いたくないのか、それどころではないのか。……おそらく後者ではないかと凌統は思った。
 寝台と小卓の間に座り込む彼女の側へと近づいていってから、しゃがんでその肩に手を置いた。
「泣くなっての。何がないのか、言わなきゃわかんないだろ?」
「泣いてないもん!」
 怒った顔が振り仰いでくる。(どこがだよ)と苦笑しつつ、突っ返しはしなかった。すればますますその機嫌を損ねることは分かっている。
「それで、何がないってんだよ」
「……髪飾り」
 うつむきがちに、上目で凌統を見つめながら彼女が唇を尖らせる。
「髪飾り?」
「うん。凌統様に買ってもらった、珊瑚の髪飾り」
「それがないのか?」
「うん。着けていこうと思ったのに……」
 伏せる瞳が濡れていく。の涙に弱い凌統は慌てて立ち上がりながら、
「ああ、はいはい、俺も探すから、泣くなっつの」
「泣いてないってば!」
 こんな時にもは潤みがちな瞳を上げて強がる。そういうところがいとおしかった。
「だいたいな、
 部屋の中を見回して、凌統は「愛しい」と思った気持ちをごまかすように、声を上げた。鏡台へと近寄り、
「こんなに荒らしたんじゃ、見つかるものも見つからないだろ」
 鏡の前で、化粧に使用する絹布を払いのけると、その下から淡い桃色の飾り串が横たわっている。それを手に取って、へときびすを返した。
「これだろ? 前に俺が買ってやったやつ」
 見上げた半泣きの顔が、途端に明るい笑みを広げた。こくこくと何度も頷きながら、立ち上がって凌統のほうへとやって来た。
「そう、それ! 凌統様、ありがとう!」
 変わり身のしやすい無邪気な笑顔に安心したのと、困らせてくれたちょっとした罰という意味も加わって、凌統は内心ほくそ笑んだ。飾り串へと伸ばすの手が、もう少しでそれに触れようとした時、髪飾りを拳で握りこんで、腕を上げた。長身の凌統である、小柄なの手に届くはずはない。彼女は一瞬ぽかんとして凌統の拳を追っていたが、
「ちょっと、凌統様、何してるの!? それ返してよぉ!」
 両手を上げて、ぴょこぴょこと届くように跳ねる。その様子が愛らしくて、凌統はますますやめる気をなくす。
「ほら、。届かないのか? 探してた髪飾りだろ?」
 意地悪い笑みを口元に浮かべて言ってやった。
「凌統様ぁ! いい加減、返してよ!」
「しょうがねえな」
 と、ちょっとの手の届くところに拳を下げたが、また彼女が安堵した笑みを見せ、両手で凌統の拳を包もうとすると、再び腕を上げて遠ざけた。は不意に「あっ」と声を上げて、均衡を崩して凌統の胸に倒れかかる。
「どうしたんだよ、。せっかく下げてやったのに」
 底意地悪く言ったが、胸に両手を置いて顔をうずめる許婚者の肩が細かく震え出したのを見止めて、彼はその笑みを凍らせる。
 一方は顔を上げたのだが、その強い眼差しは確かに涙を浮かべて向けられているのだった。
「凌統様、返して、返してよぉ!」
 子供のように叫ぶのは、涙声である。やりすぎた、と思ってももう遅い。ためらいもなく腕を下ろして、の両手に珊瑚の飾り串を握らせた。
「ほ、ほら、返すから、返してやるから泣くなっつの、!」
 飾り串を両手で握り締め、胸に押さえつけながら、相手は泣き声で言い返す。
「泣いてない、泣いてない、泣いてないんだから……っ!」
 そう叫ぶの姿は、駄々をこねるという言葉がぴったりするのだけど、そんなことをからかっている余裕は今の彼にはない。そもそも許婚者の泣くのを、苦手している凌統だからだ。
「分かった、泣いてない、泣いてないよな、。だから、顔を洗って、星祭に行く準備をしろっての。ほら、髪飾りを着けてやるから」
 甘やかすようにをなだめる方法しか思いつかない。彼女を怒らせたのは自分なのに。
 重ね重ね、やりすぎた。がどれだけ怒るのか、そして怒った後のなだめ方まで見通さずに。
 の言う通りに支度を手伝ってやりながら、心の内で苦笑しつつ、消えぬ面影へ語りかける。


 ――父上、俺は一人前になるにはまだまだです。


write : 弓月綺様 | site : Garnet〜禁断の廃園〜
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