枯れ葉を舞い上げ、風が吹く。

 空を仰げば、白い雲が流れていった。

追う影・追われる影


 色づいた落ち葉を拾って、透明な空にかざす。清々しい陽の光が紅い葉を透かした。
 は満足そうに、頬にえくぼを刻むと、拾った葉を手籠の中に放り込む。編み目の細かい籠中には、どんぐりがいくつか、落ち葉が数枚。
 小田原より離れた小高い石垣山、秋が晴朗と澄み渡っている。北条家現当主・氏政の末妹は、あまりに気持ちのよい気候に惹かれて、馬を駆ってここまで足を伸ばしたのだった。
 時々地元の農夫が昇ってくることもあるが、それ以外は人の通ることはない、静かな山だ。
(でも、こんなに日当たりがあるんだから、きっと風魔の里はこのような場所にはないのだわ)
 どんぐりや赤や黄色の落ち葉を探すのを中断し、ふっと空を仰いで北条家乱波の頭領を思い浮かべた。そういえば、その乱波の里を知りたいと思うようになったのはいつのことだったか?
 それは本当に小さい、少女の頃だった。まだ父氏康がいて、……そういえばあれも秋ではなかっただろうかとは遠い記憶を探る。

 ――父とともに庭を散策していて、どんぐり集めに夢中になっていると、不意の風が起こった。小さい手にどんぐりを握りしめ、父のほうへと振り返ったら、父よりも背の高い黒い影を見たのだ。

「……父上」
 初めて風魔を見た思い出よりも、生きていた父を思い出して切なくなる。風魔は側にいることが出来るけど、父はもういないのだ。思わず瞳の奥から涙がわき上がってきた。
 両手で持つ籠から右手を上げ、目尻を拭う。それでも涙は次々にこみ上げた。両の袖で顔を覆った。足元に籠が落ちて、中身が芝生に散らばる。それを拾い直しもせず、は涙を止めようとして、ますますしゃくり上げた。
「父上……、父上」
 兄がたくさんいて、その中で氏照兄上を敬愛してきて、……側にいるやさしさが幼い内に父を失った悲しみから守っていてくれた。今、一人でいる時間にふっと父を思い出し、当時失う悲哀をよく知らなかったは今、嗚咽をもらす。
 でも、こんなに胸の痛くなる悲しさに打ちのめされたことがないのは、兄達が自分を大切にしてくれていたからなのだ。泣き笑いの複雑な表情を、袖の内に隠して、嗚咽が絶える間に笑い声で繰り返す。
「ありがとう、……ありがとう、兄様方……」
 透き通るような涼しさの風が、の髪を絡めて吹いていく。それが何度か続いて、の泣き声が収まりかけた時、花でも芝でも、土でもない、居心地のよい匂いを感じ取って顔を上げた。
 いつの間にか風魔小太郎の長身が目の前にあって、足元に散らばった紅葉やどんぐりに冷たい視線を送っている。
「……こたろう」
「氏康のために、泣いていたか」
 片膝を折り、紅葉を一枚拾い上げて、また立ち上がった。
「あの日と同じだな」
 冷徹な嘲笑とともに、紅い葉をへ突きつける。右手でそれを受け取りつつ、彼女は小太郎の言葉の意味を過去から探り当てた。

 ――父が亡くなったことも分からぬまま、その姿が見つからず庭で一人、泣いていた。……そういえば、その時もこうして彼が幼いの前に立っていたのだ。

(そうだ。あの日から)
 手の中の紅葉を見つめ、目の前の小太郎と見比べる。
 過去、彼は無言のまま幼いの側にいた。一見冷徹な眼差しをして、気の利いた言葉さえなく、口を開けば嘲笑が出るというのに、
(あの日から、私は小太郎ばかりを追っていた。小さいうちは城に来た小太郎を追って、大きくなったら風魔の里を探して)
 なぐさめることだけが、やさしさではない。側に居てあげるだけのやさしさだって存在する。そもそも、「やさしさ」というのは十人十色。それぞれの個性があっておかしくない。
 は、小太郎の無言のやさしさに惹かれた。ただ、それだけ。
 北条家に仕える忍びである彼が、風魔の里を探すために城を抜け出すを追って、陰から守っていることも知っている。だから、ほら、今も小太郎はここにいる。
 悲哀が胸の裂けるような痛みだとしたら、涙目のまま微笑んだの今の内心は、あたたかくなって、締め付けられるように痛い。
「小太郎……、ありがとう。私は、お前がここにいることだけで、嬉しい……」

 常なる無表情が、一瞬揺らいだ。小太郎はすぐに能面を付け直すように表情を落ち着けたけれど、少女の頃から彼を見てきたははっきりと揺らいだのを見止めた。
 好きな人の表情が、自分のために変わることは嬉しい。その喜びがの顔に出るのを、今度は小太郎が察して、彼は不機嫌そうな顔をそらした。その腕に彼女は左腕を絡め、目元に笑みを寄せて紅葉を示しながら、
「小太郎。この紅葉はお前からの贈り物にしてもいい?」
「馬鹿な……うぬが拾ったものであろう」
「でも、落ちていたのを、小太郎が拾った。それを私にくれた。贈り物ではないの?」
「……好きに思え。まこと、うぬは理解できぬ」
 困惑したような呟きを残して、彼は腕を振りほどく。急な風が巻き起こり、舞い上がる砂埃をは袖で顔を覆う。袖の裏から小太郎を確認すると、想像した通り、小太郎は風となってその場からは姿を消した。
 紅い葉を指でつまみ、微笑を目元にたゆたせて、は可笑しそうな声をもらす。……知っている、ここに姿を出さないだけで、小太郎はこの石垣山にいることを。
「これは、本当に宝物ね、小太郎」
 小さかった頃から彼が側にいることを思い出し、の心はさらに彼に奪われる。彼が追っているのではない、
「……私が、小太郎を追っているの。そうなのよ、小太郎」


 空を仰ぐと、目尻にしみる風が、もっと上で雲を泳がせた。

write : 弓月 綺様
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