闇夜の大坂城を音も少なく駆けていく。西の外れに開いた門から侵入して、最上階に待つ人の気配を追って真っ直ぐに登っていった。
「孫堅様。西が手薄にございます。わたくしが上がってきた階段から下がり、西へ」
「うむ。……済まぬな、。ここで会ったばかりの、俺のために」
「いいえ」
 すっくと立ち上がりつつ、やわらかい微笑を男へ向けて、はかぶりを振る。
 ……世界が変わって、仕えるべき主人や親しい友人と離れ離れになったが、最初に出会ったのが孫堅だった。彼は、魔王・遠呂智に捕まり、息子達に危害の及ぶことを危惧して、人質に甘んじていたという。――その姿に、は亡き父を思うて、孫堅を守って大坂までついて来た。忍びの役目は、守ると誓った人を守り通すことが一つ。この世界で自身の取った行動に、後悔はない。
「さあ、孫堅様。早く参りましょう」
「うむ。策達に、心配ばかりかけさせては、父として面目がないな」
 力強い表情で、彼が剣の束を握りしめ、の後ろを追う。その前方を、彼女は離れず、つかず、遠くから守るように従う。
 しかし、一階まで遠呂智軍の配下に見つからず逃げ通せたものの、そこで西への裏門はぴたりと閉じられていることを知った。
「先ほど開けて入ってきたのに……」
「気付かれたか?」
 後ろから孫堅が聞いた。は簡単に結った髪を揺らして、後ろへ振り返ってから、
「いいえ、そんなはずは……」
 と、口ごもる。自分の忍びとしての弱点に気が付いた。気配を押し殺すことが苦手、という致命的なそれに――。
 中央へ逃げることは出来る。だがそれでは敵中突破。孫堅を危機に陥らせる。その不安から次の策を口に出来ぬに対して、孫堅は快活に笑い飛ばした。
。俺に危険などはないぞ。虎は何ものも怖れぬ。敵中だろうが、俺を阻むものはない。……それに、そなたがついているだろう?」
「……はいっ」
 信じてくださっている。――そう確かめると、不安も弱気も忘れられた。
(この方は、不思議な力を持っている。まるで、私に命と生きる理由、二つを与えてくれた左近様のように――)
 胸が熱くなると、同時にただ一人仕えるべき主を思い出す。そうすると熱くなった胸が、冷めやらぬまま切ない痛みを覚えるのだった。
 感動しかけた心をきゅっと引き締めて、は強い視線を中央広場への扉へと向けた。――左近に会えないままでは、こんな訳の分からない世界で死ぬことはならない。
「孫堅様。わたくしが、お子方の元へお連れいたします!」
 開放された扉へ、一足飛びに駆ける。敵に包囲されていると予測される場所に、孫堅を出してはならない。半分以上、この手で一掃しなければ……!
 闇の城外へ躍り出て、左の袖に隠した鎖を前方へ、扇状に払った。敵に当たる気配を感じたのと同時に、予想外の攻撃を受けた、という敵の驚きを悟って、のほうも驚いた。
(……敵は、何を相手にしているの!?)
 かといって手を休めるわけにはいかない。新手の登場に気付いた敵が、こちらへも切っ先を向けたのだ。
 右手で左の腰の小太刀を抜き、ぶつかりざまに敵の体を、右に左に斬り払う。たちまちの嫌いな血の匂いがむせ返った。
 包囲する固まりの懐へと立ち止まってから、鎖を遠くに飛ばしつつ、己の体を回転させる。先に分銅のついた鎖がいっしょに回転して、四方八方敵の体を打つ。そして回転をやめてから、鎖を左手にまとめつつ、小太刀を逆手に持ち替えて敵の間を駆け抜けた。……走るのをやめた時、自分の周囲に敵が倒れていて、は濃い血の匂いの真ん中で一瞬気が遠くなりかけた。
!」
 活を入れる怒声は、孫堅のものではない。同時に、今一番聞きたかった声だと悟って、まさかこんなところにいるわけがないとも思ったので、
「……ゆ、夢……?」
 と、薄い笑みを口元に浮かべて、ぼんやりと顔を上げた。城内へゆく正門の下に、戦場刀を構えて、島左近の姿が歪んだ映像として映る。
「左近、様……」
「ここは戦場だ、!」
 厳しい一言を耳にした途端、彼女のゆるんだ気を引き締める。それは以前三方ヶ原の戦いで、抜け忍として服部半蔵に命狙われたの弛む心を救った、左近の叱責だ。
 現実へと戻ると、急に敵の気配を数多く察知することが出来て、……そのおかげで後ろからの攻撃を袖の端が裂けるだけでもって防ぐことが出来た。
  が遠く後退をすると、そこを刀の衝撃が地面をえぐって、周囲を一掃した。
「ちょっとマシになったかと思ったが、まだまだ隙があるぜ、。それでいつになったら、俺を守れるんだ?」
「……さ、左近様! それは仰らないで!」
 いつも左近を守ると公言しているから、成長しないを揶揄するように彼はそう言う。でも、そう言ってくれるほうがには気安い。左近の側に戻ってきたことを、確認できる。
 子供のように反論してから、潤む瞳で探していた主人を見上げる。それを、彼は厳しい表情でたしなめた。
。再会の感動は後だ。今はこの城を出る。……そこに孫堅殿が来ているのだろう」
「はいっ! そうです!」
 強く頷いてから、きびすを返した。
「孫堅様! お味方です! 一時も早く、お逃げください!」
 ――闇の中から、浮かぶように孫堅が歩いてくる。その後ろにが従って、左近と、城内から出てきた孫策の前に進み出た。
「策。世話をかけた。済まなかったな」
「親父! 無事でよかったぜ……けど感動の再会ってのは後だな。早く出ようぜ。敵に見つかってるからな、簡単じゃあないと思うが」
 親子が先を走るのを、左近とが追う。その途中、孫策が速度を落として彼女と肩を並べると、顔だけを向けて微笑した。
、とかいったな。ありがとな、親父を守ってくれて」
「礼など……及びません。守ると決めたお方を守るのは、忍びとして当然ですから」
 真っ直ぐに見つめてくる彼の目から、視線をそらすようにしてが言い返す。直接的に向けられる謝意というのは苦手だ。さらに、そのために戸惑うをからかうつもりか、笑っている左近の気配を感じて、素直に応じきれない。しかし、
「本陣に戻るまで、まだ頼むぜ」
 と、続けてくる懇願に、彼女は今度は強い目を張って頷いた。過去、伊賀の忍びから追われることで死を覚悟したことを思えば、頼りにされることは何よりもに生きていることを実感する。今はただ孫堅の身を守って、孫策とともにこの城を後にする。そう心に誓うはふっと左近の後ろ姿を見つめた。探していた主人がここにいる、そう思うだけで今は何でも出来る自信を、は得るのだった。――



write : 弓月 綺様
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