そこからは、見えますか?










 亡くなってしまった人の魂という物があるのなら、それは何処に行くのだろうか。
 「天に行くなら」
 それはどのような感じなのだろう。地上に想いはないのだろうか。それとも、今だここに居るのだろうか。誰かの傍で時を過ごしているのだろうか。
 私にはわからないし、経験したくは無いことだ。
 それでも、苦しくは無いのか。それだけが気にかかる。
 「どのようなものなのでしょうね」
 手にした得物が、何気ないように、後ろから襲い掛かってきた兵を貫く。
 それで絶命したのなら、彼の魂も天に昇ったのだろうか。天に昇ったのだろうか。なら、の居る所に行ったのだろうか。
 伝言くらい頼んでおけばよかったな。
 そしたらきっと、一度でも私の所に降りてきてくれるかもしれない。の事だから、もしかしたら叱られるかな。どうだろう。わからないか。だっていつも私には思いも付かない様な行動をとるのだから。
 一歩、進む。
 何人かが私の周りに倒れていて、躓いて私も同じように倒れる。ぱしゃん、と軽い水音がして、濡れて緩くなった土が服や顔に付いた。
 水溜り? いや、血溜り。思った以上に多く濡れていて、冷たいような、生温かいような不気味な感触が直ぐ横にある。血を吸って服が重くなっていく。
 このまま倒れていたらどうなるだろう。くだらない事を考えて、ゆっくりと今度は身を起こした。結ってある長い髪が前に垂れ、地面について湿り気と泥がついた。広々とした見通しのいい 戦場の端っこで、泥だらけで立つ。
 「まだ、終わっていない」
 戦いはまだ。さっさと終わらさないと、に叱られる。戦が無くなればっていつも言っていたから。だから終わらす。
 澱んだ空は、が悲しんでいるからなのかな。降りそうで降らない雨は、涙を必死で耐えるみたいだ。
 泣かないでくだされ。今すぐにでも終わらせます。
 そしたら悲しくは無いでしょう? もしそれが叶わぬのなら、あなたの傍に私が逝くから。そしたら寂しくは無いでしょう?
 空は澱む。
 急ごう。が好きだった緑色が赤に染まっていこうとも、かまわない。







 槍を小脇に抱えてあたりを見回す。兵士をいくらか殺した所で何も変わりはしないだろう。敵将を、出来るだけ強い影響力のある人。
 後ろから馬の蹄の音が近付いてくる。下卑た笑い声。私の横を通り過ぎて前に出た笑い声の主は、片手に持った大剣を肩に担ぎ、馬上から私を蔑むように見て笑う。
 少し遅れてやってきて、私を取り囲んだ彼の護衛兵も、彼に合わせて笑った。今の私の、泥にまみれた風体をからかっているのだろう。
 大剣を私に突きつける。大声で何事か言っている。死際に華をやろうといったことを何か言って、妙に大きな動作で少しでも派手にと馬から降りる。彼の護衛兵は周りで静寂を保ち、余裕と思っている彼は構える。
 ここにが居たら、なんて言うのだろう。
 そんな事さえ理解できない。の事を少しでも思い出そうとすると、出てくるのは私に見せてくれた笑顔。
 男が地を蹴って私に突進してくる。
 男の突進を避けて、擦れ違い様に剣のように槍を振った。肩越しに見るように首だけ振り返ると、赤い地面に伏せて痙攣している様子が見て取れた。
 あ、もしかしたらはこう言うかもしれない。
 「華は……」
 時たま見せた、普段からは考えもつかないような妖艶な笑みを浮かべて、それに私が魅了されている事も気付かず。
 「……どっちが……?」
 好戦的な目で相手を射抜くのだろう。その目でさえ自分に向けられていたらと何度思っただろう。
 それくらいの予想が出来ただけで、何故だろうかとても嬉しい。それを隠し切れなくて笑みが自然と浮かぶ。
 一撃で終わった事に呆けていた護衛兵の一人が、我に帰ったのか持っていた剣を大きく振りかぶって、私目掛けて勢いよく振り下ろす。つもりだったのだろう。
 私の槍は彼の腹を貫いた。らしい。
 「……あ……」
 彼に続いてと残りが一斉に切りかかる。



 殆ど条件反射で動いていたからよく解からないけど、気がついたら終わっていた。倒れた死体の真ん中で、服についた泥は乾燥していくらか剥がれ落ちた。
 空をまた仰ぐ。今にも降り出しそうなところで、雨は何とか耐えている。戦火は緩やかなものになっていくなかで、まだ激しく火花が飛び散っている所を探す。







 鉛色の空は呻き声の様に低く、色を深く変えてゆく。
 穂先が地面に触れるくらいに軽く槍を持ちながら、立ったまま見上げて、その様子を眺めた。鉄臭い風が私の髪を弄って、そっと、瞼を閉じる。
 「終わり、ましたよ」
 冷たい風は静けさを取り戻した戦場を駆けぬけて、周りに散らかる多くの兵士の死体は終わったという安堵感を私にもたらした。
 これで悲しまなくてもいいですよね。泣く必要も無いですよね。
 ぽつんと瞼に降りて来た雨に、一度だけが見せた涙を思い出す。一滴の雨は頬を伝って、本物の涙のような軌跡を描いた。
 「、泣かなくていいんですよ。もう終わったんですよ」
 しばらくはまた、争いの心配はないんですよ。だからお願いです。泣かないでください。
 泣かないでください。
 「この人達は」
 そちらに送った魂は、皆
 「貴女に捧げます」
 貴女への贈り物です。だから、だから。
 寂しくは無いでしょう? 笑ってください。貴女が恐れる独りの孤独はないはずですから。
 、貴女に伝わりますか? 解かりますか?
 「…………見えますか?」
 この私の姿が。見えているのならば笑ってください。澱んだ空を蒼く晴れ渡らしてください。貴女の姿を思い出す時、一緒にその空を思い出したいのです。
 貴女の為に私は生きます。これからの生は貴女の笑みを思い出すために。私がこの世から去る時は貴女の下に。そうしてこれからは生きたいのです。

 お願いです。



 「そこからは、見えますか?」



 返事をしてください。













執筆者 : 灰色様

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