あなたの好きにすればいい










高級マンションから眺めるような綺麗な夜景ではないけれど、自分の部屋のベランダから見える景色はとても気に入っている。
仕事が上手くいかない時、気分が沈んでいる時、むしゃくしゃしてる時、このベランダから景色を見ていると不思議と気分が落ち着いた。
今日も今日で仕事が一段落してベランダで休憩する。
お気に入りの煙管に火を入れて一吹き。
煙は空へ向かって昇っていく。


「休憩ですか?」


聞こえてきた声は隣の部屋のベランダとの仕切りの向こうからだった。


「君こそ今日は休みかい?」

「いえ、これから仕事に行く所です」

「そうか、もうそんな時間か」


空が明るいとは思っていたが何時の間にか徹夜をしてしまっていたようだ。
隣人の彼とはあまり顔を合わすことはなかったんだが、こうしてベランダで話すことは良くある。
彼が引っ越してきて挨拶に来た時に思った印象は美少年だった。
もう少し背があればもっと格好がついたのかもしれないがそれが逆に良いのかもしれない。
芸能人でもなかなかこんな美少年はいないだろうと思うくらいの美貌の持ち主で、頭もかなり賢いらしく、入社困難と言われている大企業に就職している。
それに変わり、自分は人気作家と呼べる程の人気があるわけでもなく、といって売れてないわけでもない中途半端な人気の作家だ。
ジャンルはSFやらファンタジーやら出版会社の要望に応えて書いている。
それが人気作家になれない所以なのかもしれない。


「今日もしっかり揉まれてこい、美少年」

「私はもう少年ではありません!」


少し幼い面立ちを気にしているのだろう、少年という言葉は嫌いらしい。


「そこでムキになるから少年なんだよ、美少年」

「私には伯言という名前があります!」

「私はいいが、時間は大丈夫かな?美少年」


いつも決まった時間に出勤しているのでそろそろその時間だ。


「あぁ!いけません!」


バタバタと慌しくなった隣の音を聞きながら煙管をもう一吹き。


「戸締りはしっかりな、美少年」

「ですから少年ではありません!」


それだけ言うと窓が閉まる音がする。
それに続いてバタバタと慌しく部屋を出て行く音が聞こえた。
少しして窓の下を見てみると少し焦ったように駅の方へ走っていく彼の姿が見えた。
何でもないことであったがにとっては楽しい時間だった。
もともとあまり部屋から出てフラッと買い物に行ったり、DVDなどを借りてきたりなどしないタイプだったので人と話すという機会があまりなかった。
だからなのかもしれないが、隣人の彼とベランダで話す時間が楽しかった。
彼に年齢を聞いたことはなかったけど、恐らく自分より10歳は若いだろう。
そんな彼をからかうのもまた楽しい。


「さて、続きでもやりますか」


背筋を伸ばすように手を上に伸ばす。
最後に煙管を一吹きするとそれを咥えたまま室内へと戻った。



















隣人の彼とベランダで遭遇するのは夜が殆どだ。
彼は天気がいいとベランダで食事をするようだった。
しかし今回はいつもとはテンションが違っているようだった。
いつも聞こえる声とは違い少し沈んだような声音だった。


「どうした?仕事でも失敗したのか?」

「いえ、仕事は何時も通りしてきました」

「なら彼女にでもフラれたのか?声に覇気がないぞ?」

「私は何時もと同じです、きっと聞き違いですね」

「そうか?それならいいんだ」


多分聞き違いではないだろう。
声からしてきっと顔も暗い顔をしているだろう。
それでも彼が何でもないというのならそれ以上聞かない。
彼が言いたくなのなら無理に聞く必要もない。


殿は上手くいかなくてムシャクシャしたときはどうされますか?」

「そうだな、こうして煙管を吹かしてここから街を眺める」

「それだけで落ち着かれるんですか?」

「ここからの眺めが気に入ってるからな、不思議と落ち着くな」

「そう、ですか・・・」

「何があったかは聞かないが、自分の思い通りにならないことは山程ある、毎度腹を立ててたらキリがないぞ、美少年」


いつもならすぐに少年ではないと食いかかってくるのだが、今は違うようだ。
黙っての言った言葉を聞いているようだった。
それから何を話すわけでもなく、お互いにただ黙ってベランダで時間を過ごしていた。
夜も更けてきてそろそろ寝ようかと窓に手を掛けた時だった。


「今日はありがとうございました」

「お礼を言われるようなことをした覚えはないがね」

「いえ、殿のお陰で少しすっきりしましたので」

「そうか、また明日も頑張れよ、美少年」

「ですから、私は少年ではありません、もう大人です」

「くっくっ、そうか」


最後に聞こえた彼の声はもういつもの彼に戻っていたように聞こえた。
おやすみと声をかけて窓を閉める。
元気のない彼はからかい甲斐がない、彼は元気である方がいい。
そう感じながらベットへと体を沈め眠りの世界へと向かった。



















あれから仕事の締め切りが近くなってなかなか彼とベランダで話すことが出来ず、少し気分が下がり気味だったが、何とか編集者の納得のいく作品を作り上げ、久しぶりにベランダへと出た。
時刻は夜九時ともあり空には星たちが輝いていた。
ベランダの柵に背中を預け煙管に火を入れる。
隣人の彼はもう今日はベランダには出てこないのだろうか。
ふとそう思った所で何だか可笑しくなった。
彼との会話に依存しているつもりはなかったが、どうやら知らない内に彼との会話が楽しくなっていたらしい。
恐らく10も若い彼に恋してるわけではない。
でも会話はとても楽しい、そう感じていた。


「不思議なもんだな」


ふぅっと大きく息を吐くと同時に紫煙が星たちに向かっていく。
それをただ眺めているとガラッと窓が開けられた。


「また煙管を吸われてるんですか?体に良くありませんよ」

「どうも止められなくてね」


苦笑いをして煙管を一吹きすると少し大きめな溜息が聞こえる。
彼は何やらまた悩んでいるようだ。


「どうした?また落ち込んでるのか?」

「落ち込んでいるのでしょうか・・・」


彼が柵に寄りかかったのか、カシャンと音を立てた。


「その声を聞く限り、上機嫌でないのは確かだな」


また煙管を一吹きする。
ふと隣を見てみると彼の髪がゆらゆらと風に揺れているのが見えた。
と同じように背中を向けて寄りかかっているようだ。


「仕事は上手くいっていると思います」

「いいじゃないか、普通新人は仕事が上手くいかないものだ」

「ですが・・・周りが私の事を信頼してくれていないようです・・・」

「どうしてそう思う?」


は向きを変えて柵に寄りかかる。
そして言いづらそうにしている彼の言葉を待つ。


「私が若いからいけないのでしょうか・・・」


泣いているんではないだろうか。
そう思えるくらい今の彼の声は掠れていた。


「仕事は順調です、自分で言うのもなんですがミスはありません、企画も会社の目的に合ったものを作っているはずです、ですが・・・」


今までに聞いたことがないくらい弱弱しい声だ。
咥えていた煙管を放すとゆっくりと煙を吐く。


「一朝一夕で得られる信頼なんて無いと思うがな」

「・・・・・・」

「信頼とは地道に得ていくものだ、そんな簡単に得られるわけではないだろ?」

「言われた通りに作っているのに・・・」

「確かに企画は会社の目的に合ったものかもしれない、しかしそれだけじゃ駄目なんじゃないか?」

「どう、いうことですか?」

「言われた通りに作ることも必要だ、だが、自分らしいものを作るっていうのも必要だと思うけどな」

「自分・・・らしさ・・・」


彼は考え込むように黙り込んでしまう。


「次はあんたらしくあんたの好きにすればいいんじゃないか?伯言」


もう一度隣を見てみると目を丸くした伯言がこちらを見ていた。


「まあ、目的に外れない程度、にな」


そう笑いかけるとつられるように伯言も笑顔になる。
彼の顔はあまりみないが、やはり笑顔が似合う。


「あの、私の名前を呼んで・・・」

「呼んだかな?まあ、色々悩みたまえ、美少年」

「あ、少年ではありません!」


持っていた煙管をまた口に咥えると紫煙を吐き出す。
もうさっきのような弱弱しい声は聞こえない。
どこかすっきりしたような表情の彼に自然と頬が緩んだ。
彼に恋心を抱くのか定かではないが、しばらくは彼との会話を楽しもう、そう思った。















 執筆者 : 羽紋様     サイト : 妄想の海様

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