その時、君が笑った


「やっぱり太公望さまには、敵わなかったでしょ!」
 遅々と移動する護送車に、ぴったりとへばりついて追いながら、少女は堂々と胸を張った。
 しかし檻の中から返るのは、余裕を残す嘲笑。
「あなたの手柄じゃないのに、楽しそうねえ、さん?」
「むっ、口の減らない! そこに下りて、私と勝負したらいいよ!」
「望むところよ」
 その中で妲己が立ち上がった。一方、収容されているもう一人は、首をかしげて檻の外の少女へと目線を投げると、
「ええの? 妲己ちゃん出ちゃったら、うちら逃げる思うけど」
「あっ」
 は芝居がかったように両手で口元を覆い、今ごろ気付いたように声を上げる。
「やっぱり中止、中止。檻車、停めずに先を急いでー」
「……卑弥呼。気付かせちゃダメじゃない」
 溜息をついて、妲己は車の中でおとなしく腰を下ろした。「堪忍、妲己ちゃん」と、卑弥呼も肩をすぼめ、いたたまれない姿で身を寄せている。


 ――そもそも何故二人を護送しているのかといえば、小谷城での攻防で、ついに捕縛したからだ。そこに妲己が小谷に拠っている、という情報から、蜀軍と太公望率いる仙界軍の連合を向かわせた。
 小ざかしい知恵を以て卑弥呼を逃がそうとする妲己の策を見抜き、諸葛亮の率いる軍の到着を遅らせたことで、彼女が護ろうとした少女も捕らえるという、一石二鳥の結果となった。といっても太公望の言からすれば、元々そういう予定であったようだ。
 その太公望は先に劉備の拠る本陣へと戻ったのだけど、は師匠から妲己と卑弥呼を護送する隊に加わるよう言い渡された。
(本当はいっしょに戻りたかったんだけどなあ。……でも、太公望さまが私にしか出来ないと思って選んでくれたんだから、いいか)
 と、妙な自信を持ち、くすくすとくすぐったく笑みこぼした。
 藤の花の咲いていた道から、檻車は荒野へと入る。地から噴き出す溶岩が、空に赤く反射する。そして急に変化する地形。これがこの異世界の常識だった。
 草木の少ない乾いた大地を抜ければ、今度は切り立った崖の間を、車はゆっくりと進む。むろん蜀軍の護衛はしっかりとついていた。
 が、は耐えがたい臭気を鼻に感じて、思わず可愛い眉間に皺を寄せた。
「……敵が来るよ! みんな、車を停めて、防戦準備!」
「ふうん」
 停まった檻の内から、護衛が二重に護送車を囲むのを観察しながら、妲己はにやにやと笑った。
「敵襲の気配は察知できるんだあ。さすが、太公望さんの一番弟子を自称することはあるじゃない」
「自称じゃない! 本当に、一番弟子なの!」
「一人きりの、でしょ」
 ――仙界では、太公望が弟子を取らないという話が有名である。そしてまた、がその気紛れの発露から弟子に取られた、という話も。
「どんなに未熟な弟子であっても、一人しかいないんじゃ一番弟子って名乗るのも自由でしょ?」
「……むむむむ……妲己……ッ」
 懐から取り出した杖を握り締めて、少女は檻の中の妖魔を鋭く見据えている。許されるものならば、この檻にかけられた結界を解いて、妲己を引きずり下ろして対決したい。けれどが太公望から言い付かったのは、妲己と卑弥呼の蜀軍本陣への護送である。
 師の言いつけは完全に成し遂げて、さらに褒められたい。けれど妲己に言われっぱなしも悔しかった。
 奥歯を噛み締めて耐えるの脳裏に、この異世界へ下りる前の師の声を聞いたのは、その時だった。
。我らよりも多い敵に襲われたら、どうする』
 桃の花香る、仙界の浮島だった。師匠から教えを乞う時は、いつも釣竿を垂れている横か、花の咲く下だった。
『どこかにこもって、やり過ごします』
『それを籠城策という。しかし敵は、まず我らを挑発してくる。頭に血が上って、我らが打って出ることを仕向けるようにな』
『悪口を言ってですか? そしたら出ていって、やっつけます。言われっぱなしはいやです』
『それを血気に逸ると云うのだ。守らねばならぬ砦がある時は、どのような雑言にも耐えろ。言ったであろう? その挑発は、打って出させるための方策だとな』


(そっか、妲己の罠なんだ)
 思い至ると、気持ちは冷静になっていった。さっと檻車に背を向けて、は朗らかな笑い声を上げる。
「私は絶対に、太公望さまのところにあなた達を連れて行く。そんな罠には、引っ掛からないもの!」
「ふうん、失敗かー」
 返事は、それほど悔しそうにも聞こえなかった。だがそれ以上妲己の言葉を疑っている余裕は、にはない。襲い掛かってくる遠呂智軍を、檻車に近づけさせないために杖を振るって術を放つ。
 近づけさせない、といったって、近づいても太公望の結界がかかっている檻だ。この時大切なのは、護衛する軍の兵士が減るのを防ぐこと。たかが遠呂智軍の雑兵が、檻に近づけたとしても、どうすることも出来ないのだから。
 師匠の術に対する盲目的な信頼。それは弟子として至極当然の感情だが、それが今、失敗を招いた。
さーん」
「何!?」
 能天気な声に呼ばれて、鋭く振り返ると、檻から出た妲己と卑弥呼が、こちらを向いていた。信じられずに、しばし呆然となる。だが戦いの最中だ。敵の攻撃を正面から受けて、は地面に這った。立ち上がろうとする彼女の側まで足音が聞こえて、裸足が少女の頭を踏んだ。
「……あっ!」
「あたし達も急ぐから、命は取っていけないけど、太公望さんのところに帰って言いなさいね。誰があなたみたいな坊やの言いなりになるかっての、悔しかったら古志城にいらっしゃい、あなた達の無力を見せ付けてあげる……! ってね」
 は踏みつけられながら、思わず呻く。妲己の冷たい口調に押しひしがれたために、そして顔を踏まれているという屈辱のために。
 妲己の足がどかれた。が、しばらく少女は立ち上がれずに、遠呂智軍とともに移動術を用いて姿を消す、妲己と卑弥呼を見送る。結界術が破られた檻車と、乱闘の跡が残された谷に、冷たい雨が降り始めた。






「――!」
 雨に打たれて、泣くのを噛み殺していると、突然見知った声が自分の名を呼んだ。
 白い光が雨露の中に集まり、それは人の姿を変える。と思うと、その内の一人が駆け寄ってきた。
「ガラシャ、ちゃん」
「しっかりするのじゃ、!」
 叱咤する表情で、新たに現われた少女はの体を起こしてくれる。その後ろから師が歩いてくるのを見つけると、耐えていた涙が溢れて、はガラシャにすがりついて泣きわめいた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、太公望さま……ッ! 私、なんにも出来なかった、みんなを守るのに必死で、妲己が、妲己が結界を破ってたなんて……ッ」
「それで、女狐は何か言い残したか、
 落ち着いた様子で太公望が聞き返す。対して、時々嗚咽を挟んで、は事の次第を話した。仙人は動じる様子もなく、妲己が彼に宛てて言い残した言葉を聞いている。
 そして全て話し終わって、がまだガラシャに抱きついてしゃくり上げているのを見守ってから、目を閉じて呟いた。
「もう、よい。、しばし眠っていろ」
 それが合図のように、嗚咽の余韻を残して仙界の少女はことりと眠りに落ちた。おそらく――術のようなものを仕掛けたのだろう、とガラシャは何となく理解した。そしてここまで同行を許してくれた太公望へ顔を向けると、……彼は確かに笑っていた。薄い唇の端を引き上げて、ガラシャではない何ものかを見据えて笑っていた。
「……妲己。我が弟子に恥を掻かせたは、私の面に泥を塗ったも同じこと。しばし安楽に過ごしているとよい、今日、の受けた仕打ち、重石を加えてお前に返してやろう」
 すげなく背を返して、彼は天に片手をかざした。白い光がその体を包み、眩しさにガラシャが目を瞑り、また開いた時には太公望の姿は消えている。
 そして自分の腕の中で、安らかな寝息を聞かせる少女を眺めてから、ガラシャはふっと息をついた。
「……ああ見えて、そなたを心配しておったのじゃなあ、太公望殿は」
 ――良かったのう、と呟いて、眠るの体を抱きしめると、思わず笑みがこぼれた。
 人が人を思い合う、そういう関係は側にいるだけでも胸をあたたかくする。そんな効果は仙界の住人も同じであるようだ。


[write : 2009/04/20]

[writer : Aya Yuduki(site)]

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