「ど…どういう風の吹き回しですか」
「風が吹き回したからこんなことしてる訳じゃあ、ないんですけどね」
いつもの口調で飄々と、島左近は囁いた。










意地が悪くてごめん










「おや、どうしたんです」
二人を見て声をかけてきたのは、島左近だった。
清正の背に、がおぶわれている。
「ああ、彼女、ふらついてたもんだから」
さらりと返す清正。
背中から、が遠慮がちに顔を出す。
「あの、もうここまでで平気です、清正さん。ありがとうございます」
顔だけを半分振り返り、清正が答える。
「真っ青な顔してた奴が何言ってる。寝床まで送る、あと少し大人しくしてろ」
「…恐れ入ります」
恐縮するの顔色は若干白いが、もう一人で歩けるようには見える。
過保護なことで、と左近は口には出さずに呟いた。



「…おい、何でアンタがついてきてるんだ」
訝しげに振り向いた清正の後ろには、のんびりとついてくる左近の姿がある。
「いちゃいけませんかね?」
いつもの笑みを浮かべて、左近が問う。
「そういう訳じゃ…まあ、いい」
追求するより優先すべきことがあったのを思い出し、清正はをおぶって歩を進める。





寝床に着き、温めの茶を啜る頃には、の顔色もすっかり良くなっていた。
「すみません、お手数おかけして」
起きて頭を下げようとするを、清正が布団へ押し戻す。
「いいから寝てろ。またぶり返すぞ」
「う、はい」
先ほどの道中で何かを悟ったのか、素直に従う
大人しくなった彼女を見て、清正が一言。
「…働き過ぎじゃないのか、アンタ」
「え…?いえ、そんなことは」
「いつも気を遣ってるだろう。色んな奴に」
の返事がないのを肯定と取った清正が、一つ息を吐いた。
「気持ちは有難いが、どだい俺らとアンタじゃ身体の作りが違う。あまり無理するな」
そう言って、の額にそっと手を置く。
「…少し熱があるな。今日はもう休んでろ」
「……はい…」
「あと」
「?」
申し訳なさそうに目を伏せるに、清正が言葉を継ぐ。
目線を上げたの額を軽く指で弾き、
「倒れたのは別にアンタが悪い訳じゃない。余計なこと考えずに、休め」
そう言い残すと、清正は天幕の外へ出て行った。
「ま、ここは清正さんの言う通りですね。今日くらいは大人しくしておいたらどうですか」
清正の後ろ姿を眺めていた左近が、何でもないことのように言った。
「病人の邪魔になっちゃいけない。俺も失礼しますよ」
言って、天幕を出て行く左近。
─結局あの人は、何故ついてきたのだろう。
一人残されたは、低い天井をぼんやりと眺めて一つ溜め息を吐いた。







が外に出てきたのは、翌日の昼だった。
ん、と伸びをすると、昨日世話をかけたばかりの人物が目に入った。
鎌槍を振っていた清正が、気付いて振り返る。
「もういいのか?」
「はい、おかげ様で」
答えた彼女の声には、いつもの覇気が戻っていた。
そうか、と清正も笑う。
「それならいいが、病み上がりなんだ。今日は肩慣らし程度にしておけよ」
そう言って、彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
くすぐったそうにが笑った。



「おや、お揃いで」
そう声をかけてきたのは、左近だった。
図らずも昨日と同じメンバーに、は安心感と若干の居心地の悪さを覚える。
そんな彼女の心境を見て取ったかのように、目が合った左近がにやりと口の端を持ち上げた。
さん、体の方はもういいんで?」
「はい、昨日はご迷惑おかけしました」
とんでもない、と左近が手を振る。
「俺は見てただけで、何も。それより、元気そうで安心しましたよ」
じっと、左近の双眸がを捉える。
言葉とは裏腹に、その表情は獲物を狩る鷹のような鋭さをどこか含んでいた。
やがて、ふ、と視線を外した左近が、清正とを交互に見遣った。
「にしてもまあ、お熱いことで」

ぱちくり、とは瞬きをした。
「…何が言いたいんだ、アンタ」
清正が、呆れとも怒りともつかぬ表情で左近を見据えている。
「言葉通りの意味ですよ。分からない訳じゃないでしょう?」
どこまで本気なのか、口調だけはいつもの飄々とした体で左近が答える。
「お前…!」
ざ、と一歩踏み出した清正と左近の間に、が割って入った。
「あ、そ、それよりお二人とも、お昼はもう摂りましたか?」
清正の動きが止まる。
「いや、まだだ」
それに対してが微笑む。
「じゃあ、一緒にどうですか?今日の日替わり、私は結構好きなんです」
橋の向こうの飯店を指さすと。
「俺もご一緒していいんで?」
左近が笑い混じりに問う。
勿論、と答えると、左近はまた先ほどの目つきで、をじっと見つめた。
「…いや、やっぱり俺はやめときましょう。この後軍議ですしね、腹が膨れて眠気が勝っちゃ大変だ」
それに、と二人の方を見て。
「邪魔するのも野暮ってもんですしね」
「おい、お前…」
「あああの左近さん、昨日のは決してそういうのじゃ…」
フォローしようと一歩左近に歩み寄ったを、左近が片手で制した。
「おっと、あまり近づかないで下さいよ。火傷しちまう」
その口調は、いつもの冗談を言う調子ではあったが、きっぱりとした拒絶の意志が、語尾に滲んでいた。
「……さ」
呼び止めようと声をかけたときには既に、その人は身を翻してしまっていた。
ちくり、と胸の奥が傷んだ理由は、追求せずに心の奥深くへ追いやった。







そんなことがあったのが、少し前のことで。
実のところは、そういうことは初めてではなかった。
そして、今、は、

「ど…どういう風の吹き回しですか」
左近その人によって、壁際に背中をぴったりとつくまで追い詰められていた。

「風が吹き回したからこんなことしてる訳じゃあ、ないんですけどね」
左近が苦笑する。
じゃあ何なんですか、とが警戒気味に問う。
左近は片眉を軽く跳ね上げ、そりゃあ、との耳元へ唇を寄せた。
「愛ゆえに、ですよ」

の肩が、ビクリと震えた。
「言わせんで下さい、恥ずかしいんですから」
そういって左近は顔を離すが、両手は壁についたままで、は未だ逃れることが叶わない。
「………嘘」
じとり、と上目遣いに左近を睨んで、は呟いた。
「嘘?何がですか」
左近が、の顔の両脇についた手の力を緩め、また少し距離を縮める。
目を細めて、逃さないようにとばかり、の目線を追う。
「俺が貴女を愛してる、ってことが、ですか?」
鼻先に息がかかる。
は動揺を隠しつつ、左近と向き合った。
「だ、だっていつも、意地悪ばかり言って、今だって」


が他の異性と親しげに接していると、大抵決まって、左近がどこからか冷やかしにやってくるのが常であるのだ。
初めの頃こそ挨拶程度のものだったのが、最近では若干の悪意すら感じるときもある。
冷静な軍師、島左近に似つかわしくない態度。
その理由も分からずに、困惑する
そんな関係が、もう、しばらく続いていた。


「“今だって”…何です?」
左近の顔が近い。
鼓動が早くなる。顔が熱い。
それでも負けるものかと、は持てる限りの勇気を振り絞った。
「か、からかわないで下さい。今だって…いつもだって」
左近が、一度だけ瞬きをした。
「からかってると思ってるんですか?」
「そうじゃなかったら何だって言うんです」
出来るだけ毅然と言い放つと、左近は小さく溜め息を吐いた。
あれ、珍しい反応だな、とが思った、次の瞬間には。



「からかってる相手に、こんなことは出来ませんよ」
の体は、すっぽりと、左近の腕の中に収められていた。



「さっ…さささ左近さ…」
「どうしました?」
あまりの出来事に、の口は上手く回らない。
ぱくぱくと必死に口を動かそうとすると、その唇を塞がれた。

「──…んっ…」
体は強く、抱き締められて。
「っ……はっ…」
しばらくして離された口から空気を吸い込むと、くつくつという笑いが頭上から響いた。
「な…」
「おっと。そんな怖い顔しないで下さいよ」
左近が、片手はの腰に回したまま、片手だけで降参のポーズをする。
「どうです?からかってなんかないって、分かって貰えましたかね」
その顔が、初めて見るような優しい眼差しだったから。
は何も言えず、ただ少女のように俯いてしまった。
「大体ね」
左近が、よいしょとを抱き直す。
「貴女、一々が可愛らしいんですよ」
「……は…?」
「は?じゃないでしょう」
左近の指先が、の頬に触れる。
「今だって、こんな可愛らしい顔をして」
そして、少しだけその目を鋭く細める。
「悪い虫がつきやしないかって、いつも心配するこっちの身にもなって欲しいもんですね」
ぽかんと、はその顔を見つめてしまった。
これが、事あるごとに意地悪な言葉が口をついて出る、あの島左近と同じ人なのだろうか。
「何ですか。鳩が豆鉄砲食ったような顔して」
「だ、だって」
「だって?」
「…だっていつも、意地悪ばかり」
搾り出すように答えると、左近は困ったように片眉を下げた。
「意地悪…ああ、確かにまあ、それは」
聞き逃さないようにと、がじっと左近を見る。

「説明すると長いんで要約しますと」
くい、と顎を掴まれたと思ったら、再び口づけをされていた。
「……!!」
左近の肩を押して抵抗しようとするも、がっちりと背中を捉えられてびくともしない。
やがて、唇だけをそっと離して、息がかかる距離のままで。
「男ってのは全く、しょうがないモンなんです」
優しい表情のまま、左近が苦笑した。

ぐるぐる回る脳の中で、左近の言葉を懸命に紐解こうとする。
やがてそれは、一つの回答に行き着き。
「……子供じゃないんですから、普通に出来ないんですか…」
「ははっ。いや全く、返す言葉もありませんね」
低い声で抗議をするも、抱き締める腕を緩める気配もなく、左近はの指摘を豪快に笑い飛ばした。
それにしたって『近寄るな』とは酷い物言いだ、とが更に抗議する。
「割と傷つくんですよ?ああいうの」
少しむくれて見せると。
「だからこうして、その分まで返そうとしてるんじゃないですか」
左近はの額に、そっと口づけを落とした。










執筆者 : 夢果実様    サイト : BAROQUE MIX 様

ブラウザを閉じてお戻りください。