ここ一年、兵卒の階級に留まり続ける一人の少女がいる。
望むは、ただ一つ
「山賊討伐?」
「ええ」
凌統はたった今言われた言葉を繰り返し、更に頭の中で反芻させる。山賊討伐。すぐに言われた意味が理解できなかったのは、その言葉の割りに目の前の男が真剣な表情をしているからだ。今まで幾度と無く山賊討伐を命じられてきたが、これほど重い空気の中命ぜられたのは初めてだった。
今までの山賊とは格が違うということか、それとも何らかの困難が待ち受けているのか。面倒くさいと思いながらも、一方で武人特有の興奮にも似た疼きが沸きあがってくるのを確かに感じる。凌統のそんな気配を感じ取ったのか、陸遜は僅かに苦笑した。
「違います、凌統殿。今回の討伐も、何ら困難なことはありえません」
「じゃあ、何で軍師さんはそんな顔をしてんのさ」
「・・・一人、様子を見て欲しい兵士がいるのです」
陸遜が逡巡するのはとても珍しい。けれども更に、目の前の彼が一人の兵士を気にかけるなど、それこそありえないと言っても何ら過言ではなかった。果たして注目すべき兵士でも居ただろうか。頭の中で訓練している兵を挙げようとするも、もちろん候補になりそうな人間は何人かいたが陸遜が注目すべきほどではない。結局候補は出ず、それならば一体誰だと目で訴える。他の武将が訓練をつけている兵士ならばお断りだった。武将によってその軍には特徴が出やすいが、基本的に凌統は他の軍とは雰囲気が合わない。熱血なんてもっての他だ。
「、という少女をご存知ですか」
「・・・?いいや、知らないな」
陸遜に席に着くよう促され、執務用の机を挟んだ向かい側に置かれていた椅子に座る。
凌統の軍に女がいた記憶は無い。そもそも女自体が少ない兵の中で、陸遜が敢えて少女と呼ぶ人間など。すぐに思い浮かばなければ、兵卒かと考える。一番下の階級である兵卒の者は、人数が多いため武勲関係無く定期的に行われる昇格試験で合格することで次の階級に上がる。そのとき軍が変わることも多々あり、頻繁に人の入れ替えが起こるためあまり覚えていない。
凌統が何かを思い出すのを静かに待っているつもりらしい陸遜を視界の端に入れながら、ふと記憶に引っかかった人間を思い出した。 片眉を上げた凌統に、陸遜も目を細める。
「名前は知らないけど、俺の軍に一人女が居たな。兵卒だろ?確か」
「ええ、彼女です。よく覚えていましたね」
「思い出すよう仕向けたのはあんただろ。で、そいつがどうかした?」
「兵卒の昇格試験を見送った回数が、六回」
「は?」
殆ど記憶に無い、顔も覚えていない少女が一体どうかしたのかと投げかけた視線に答えた陸遜の言葉は、何の脈絡も無いように思えて凌統は首を傾げた。己の実力が間近の試験に間に合わず、見送ることなどよくある。女ならばその回数が平均より多いのはわからないこともないし、武が合わないということなのだろう。まあ、それほど見送るくらい自分に合っていないのならやめたほうがいいのではと思わなくも無いが。
呆れかけた凌統に、奥で火が灯った力強い視線を陸遜が投げかける。
「山賊討伐回数、三十九回」
「・・・なんだって?」
「興味湧きました?」
身を乗り出したその姿に笑った陸遜に心の中で舌打ちをするも、その信じられない言葉にこそ凌統は反応していた。山賊討伐と一言で言っても、規模は大から小までさまざまだ。とはいえ、その回数は異様だった。平均的に兵卒は、昇格試験の間の時期に実力を確かめるという理由で二回ほど出兵する。単純計算で少女が本来出兵するべき回数は十二回から十四回。その二倍から三倍の出兵をこなすなど、聞いたことが無い。
細められた陸遜の瞳を覗き込めば、言わんとしていることが理解できた。
「今回彼女を凌統殿の討伐軍に加えます。様子を、見てきて欲しいのです」
列を乱すことなく歩く後ろの兵たちを、凌統は馬上からちらりと見やった。というらしい名の少女は、列の先頭の端にいる。さすがに討伐回数が多いとあって、この山道を男のペースに合わせていても疲れているような気配が無い。顔に出ないだけかと思ったこともあったが、始終気だるそうな雰囲気に杞憂なのだと分かる。彼女の腰には兵卒が持つ一般的な剣が下がっていた。周りの兵はそれぞれ自分なりのものを持っていて、それは少女よりも階級が上だと意味している。その中で全く気圧されることの無い少女の度胸はある意味普通じゃないのかもしれない。まあ、そんな回答は陸遜も期待していないだろうが。
凌統はひとつため息をつき、馬を止める。山賊の領土と思われる場所に着いたからだ。周りの兵もそれに気付き、一気に緊張するのが分かる。異様に肩に力が入るのは場慣れしていない証拠だと思うが、それをいちいちこの場で指摘している暇は無い。馬を下りて指示を出そうとした直後、引っかかる何かを感じて凌統は感覚を研ぎ澄ませた。それに気付いた兵たちが周りを見渡す。
何か、いる。
「右だ!」
「右っ!」
凌統の声に重なるように少女特有の声音が響いたと同時に、剣がぶつかり合う。咄嗟に少女のほうを見た凌統の視線の先で大男の剣を受け止めている少女がいた。その力に負けたように後ろへ飛ばされた少女は、危なげなく一回転して地面に足をつける。
・・・わざと力を抜いたように、見えた。
「うおぉぉっ!!」
「チッ」
木の陰から飛び出してくる山賊たちとその予想外の数に、まずある程度倒してからだと割り切ることにした。
「作戦通りにしろ!」
襲い掛かってくる相手に構え、凌統は気持ちを切り替えることにした。これでヘマをしたら軍師さんに散々お小言を貰いそうだ、とひとつ心の中で呟いた。
広い森の中で、土地勘のある相手と戦ううちに仲間とだんだん離されていくことはある意味道理だった。凌統自身聞いていたよりも随分と多い相手の数に苦戦し、気付いてはいたがはっきりと意識したときには少女と二人、背中を付き合わせる形になっていた。相手からの攻撃が途切れたことを確認し、あたりを警戒しながら背後にいる少女の様子を伺う。僅かに汗をかいているようだったがそれだけで、凌統と同じく息は整っている。どれほど走り戦ったか詳しくは知らないが、凌統のスピードについてこれているという事実に驚く。
そして彼女はいつの間にか、手に大剣を握っていた。
「・・・あんた、自分の剣は?」
「途中で刃こぼれして・・・」
「それで大丈夫なのかい」
「・・・」
困ったように目を細めるものの、その顔には余裕さえ感じられる。それは決して油断ではない。少女に気をとられていたのは、凌統だった。
ザッという小さな音が木々の中から聞こえ、その場所を見る前に足を鋭い痛みが襲った。
「っ!」
「凌統、さん!」
中々聞きなれない自分の呼び名と同時に、間近で剣が振るわれたとき特有の風圧が頬を撫でる。ばらばらと足元に数本の矢が落ちたことを確認して顔を上げれば、どこに持っていたのか、あまり見たことのない小型の剣を木の上に向かって投げつける少女の姿があった。綺麗な動作から放たれたそれは一直線に木陰へと飛び、直後短い悲鳴と共に男が落ちてきた。
幸運にも矢は足を掠っただけで、それほど傷も深くない。だが、何故か体がしびれて動かない。矢先に何かの薬を塗られていたのだろう。予想外の失態に舌打ちした凌統の前に膝を着いたのは、少女だった。
「体は?」
「しびれてるみたいだ。動かない」
「・・・神経麻痺系か・・・この水で傷口を洗ってください。そして、体は出来るだけ動かさないように」
「悪いね」
はっきりと指示を出した後にもごもごと、多分、と言う少女に思わず苦笑しながら、腕に力を入れて傷口を洗う。正直、木にもたれかかっているのが精一杯の状況だ。ここで襲われたら終わりだな、とどこかで思う。そして視界の端に入ってきたその光景に、思わず笑いそうになった。最悪の事態だ。
陸遜に見せられた山賊の頭の似顔絵と同じような顔の男が、歩いてくるのが見える。少女も何かが違うと雰囲気で感じ取ったのか、顔の表情を一切消して男を見続ける。睨んでいるというわけでもないのだが、その視線はまるでそれだけで射抜くようなもので、凌統は息を呑んだ。逃げろ、と口にできない何かが少女には存在していた。
「凌統という武将の名前は聞いたことがあるぜ・・・」
少女の先ほどの声を聞いていたのだろう、それで頭がこちらに来たのだと知る。どうすればいい、と頭をめぐらすが、どうしようもないのだ。だから、凌統の前に立って男と対峙する少女にどう声をかければいいのか、迷った。逃げろ、と言うのが一番いいのだろうが、今から逃げて果たして逃げ切れるかどうか分からない。彼女が一人で捕まったら、それこそ酷い目に遭うだろう。それだけは避けなければと考える。下っ端とはいえ兵になっているからにはある程度の覚悟はできているだろうが、だからといって納得することはできなかった。
ふと、少女が少しだけ振り返った。その顔に宿るのは、微笑み。この場では狂気とさえ思える、静かなそれ。
「凌将軍、これから見るのは、幻です。凌将軍が全てやりました。・・・いいですね?」
兵卒でありながら、討伐回数が軍を抜く少女。それの意味を、分からない人間はいない。落ちこぼれだと一部では囁かれているが、本当の落ちこぼれがそれほどの出兵をしていて今まで無傷など、ありえない。
、とだけ名乗る少女。
「さて、終わりにしよう」
驚くほどの速さで繰り出された大剣は、確実に相手を貫いた。
「やるよ」
山賊討伐の任務が完了したことと、そしてもうひとつ少女についてのことを報告しに陸遜の元を訪れた凌統は、開口一番にそう言った。 今回の任務の詳細がしたためられている書簡から顔を上げた陸遜は、そんな凌統を見て目を細める。何かを見極めようとするその瞳を、凌統も見返した。
「・・・そうですか」
「ああ」
それだけで報告は終わったとばかりに執務室を出ようとするその背中に、陸遜は声をかける。
「少女をあなたの軍へ入れても?」
「さぁ・・・いいんじゃないの?」
曖昧な返事を最後に、凌統はその部屋を去った。
長い廊下を歩いて鍛練場へ行く途中、庭の池を覗き込む一人の少女の姿があった。出兵したときとは服装も異なり、髪も背中へ流している。昨日の夕方城へ戻り、そして今日は初めて見る。ほとんど時は経っていないはずなのに、久しぶりのような気がした。それにしても陸遜に少女について聞いてからこんな短期間で、随分自分の意識に入り込むようになったと思い凌統は苦笑する。
「よ」
「凌将軍、こんにちは」
背後から近づいていったというのに全く驚いた気配を見せない少女は、感情を隠すのが上手いのかそれとも最初から気付いていたからか。後者だろうなと勝手に思いながら凌統は少女の元へ足を進める。少女の顔に、数度だけ見た微笑は見当たらない。
少女の視線の先に気付いて、凌統は軽く肩をあげた。
「もう大丈夫だぜ。見てみるかい」
「大丈夫ならいいです。ただ、私の不注意でついた傷だから・・・実は気になってて」
「あんたの不注意じゃないだろ。明らかに、俺が自分で負った傷だ」
「でも気付いてたのに動かなかったのは、私の責任でしょ?それに、凌将軍の名前を使っておびき寄せたのは事実ですし」
「そうか?でもまあ、無事だったんだから良かったんじゃないの」
そうですかね、と話題を流した少女は視線をそらし、池を覗き込んだ。そこには確か、鯉がいたはずだ。何が面白いのかじっと見続ける少女に、あのときの面影は無い。
今回山賊の頭を早急に討ち取ったせいか、山賊たちはすぐに引き、結局討伐軍に死者は出なかった。その頭を倒した凌統には、報奨金が出されることになっている。陸遜にならば正直に話しても良いだろうかと思ったものの、この少女のあの微笑を思い出せば躊躇われた。少女が何を考えているのか分からない。少なくとも、金、地位などは要らないのだろう。今まで、少女の内側へ招かれた人間は居ないという。ただ、一部には少女に尊敬の念を抱く兵士も存在しているらしい。
俺は、あんたの内側に入れるだろうか。
「あんたの望みはなんだい?」
少しだけ振り向いた少女は、その瞳に凌統の姿を捉えると目を細めた。微笑んでいるようにも見え、また睨んでいるようにも見えた。
薄く口が開かれる。
「永久不変」
これが、と凌統の出会いだった。
end
※ この作品は続編 『私も…そっちに行っていい?』 に続きます。
※ 昇格試験・報奨金・討伐軍編成等は妄想発信です。
執筆者様 : 藤緒様 サイト : セイレーンより愛の手紙を様
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