※ こちらは前作 『望むは、ただ一つ』 の続編です。











 一生、異分子であり続けるのだと思っていた。










 私も・・・そっちに行っていい?










 季節の花が咲き乱れる草原に一人、横たわる。あれから大体一年が過ぎたのだろう。この草原の草花が咲き、萎れ、枯れ、そして再び廻るのをずっと見てきた。景色も空も、全然変わらない。だから好きだ。



 この世界に来たのは突然だった。いや、予兆はあったのかもしれない。何だか夜眠れなくて、一日中ぼーっとしていた。どこが悪いというわけではなくて、けれどそれでも体はだるくて。全て寝不足のせいだと思っていたけれども、違ったのかもしれない。ある日、ふらりと体が傾いたときはついにやったかと思った。そして次に目を開けたとき、この広い草原に一人で横たわっていたのだ。今のように。とはいえ結局全て、憶測でしかないのだけれど。倒れる前、一体何をしていたのか全然思い出せない。だから多分、普段のように当たり前のことをしていたのだろう。起きてご飯を食べていってきますと言って、外に出て。そんな当たり前のことが、あっさりと当たり前じゃなくなった。

 目の前にあげた手は自分の記憶より随分小さく、背中をさらさらと流れる髪は自分の記憶より随分長い。全身を見渡して、どうにも子供のような姿になっていて。だから夢だと思っていた。そんな根拠のない自信が脳を閉めて、長い時間ここに居続けた。夢見心地で近くの森に入って行き、そこで山賊らしき人たちに襲われてようやく、ここが日本じゃないのだと気付いた。そして、あっさりと人を剣で突き刺し殺す自分の手と本能のような感覚に、自分が戦えるという異常と、そして夢じゃないのだと知った。

 あのときの記憶は、あまり無い。何をしたか、何を言ったか、ほとんど覚えていない。ただ、感触だけが手に残っている。
 何かを断ち切る感触が鮮明に残って消えなくて、一心不乱に近くの湖で手を洗い続けていたところを、偶然山賊討伐に来ていた呉という国の軍に助けられて拾われた。そのとき私を心配して引き取って育ててくれた武将は、結構前に討伐で負った傷が悪化して亡くなった。何もかも分からず、精神的にも追い詰められていた私をどん底から救ってくれた人。父よりは気軽で、兄よりは影響の強い人だった。私が本格的に腕を磨くようになったのはその頃かもしれない。それまで鍛えることは愚か、剣を見るだけで拒否反応を示していたのを、鍛えずとも衰えない体でもって克服した。
 これ以上の変化は怖かった。私の周りが変わってしまうことが、どうしようもなく怖かった。戦は多くの人が死ぬ。この世界はとても簡単に人が死ぬと、気付いたから。

 ・・・こうして考えてみると、結構私は単純なのかもしれない。山賊の討伐軍によく志願するのも最初に襲われたのと、そしてあの人を失ったからだと思うし。
 「・・・どうしようもないな」
 「その言葉、年寄りみたいだぜ」
 不意打ちのように響いた声と遮られた視界に、一瞬体を強張らせる。よくよく見れば私に覆いかぶさるようにしてしゃがんでいるのは片眉を上げた凌統で、思わず深く息を吐いた。色々なことに気をとられていた私も私だけれど、わざわざ気配を読み取りにくくして近づいてくる凌統も凌統だと思う。
 「凌武将、」
 「違うだろ。凌統で良いって」
 「・・・凌統さん、いきなり現れないでください。いつか条件反射で攻撃してしまうかもしれませんから」
 「上司に向かって失礼なやつだな」
 「凌武将って呼びますけどいいですよね?」
 「・・・今回は見逃しとくよ」
 様、なんてふざけてしか使ったことの無かった私は結局名前に様付けがこの一年間で身につくことの無いまま今まで来ていた。敬語だってそうだ、畏まった言い方なんて知らない。そもそも凌統のような武将階級の人たちと接点が無かったから様なんてつけなくて良かったのだ。とはいえ、さすがに呼び捨てはヤバイから名前に“武将”など階級をつけて呼んでいたけれども、一度だけ咄嗟に使った“さん”付けが凌統のお気に召したようだった。というかこの世界で“さん”付けなんて聞いたことが無いから、ただ新鮮で面白がっているだけなのだろうが。例の討伐の件から、何故か話す回数が格段に増えた凌統には“さん”付けを強要される。



 今思えば、少し前にあった例の山賊討伐の一件はある意味私にとって、分岐点だったのだろう。何であの時凌統の前であんなことをしてしまったのか、もっと上手く立ち回ることができなかったのか、そして何より少しでも胸のうちを凌統に見せてしまったのか、今となってはわからないけれど、あれ以来私の周りは結構変わったと思う。そう、変わったのだ。変わってしまった。凌統には話しかけられるようになるし、昇格試験は強制的に(半ば脅されて)受けさせられるし、ゲームで言うところのエディット武将MAX並みの私の能力で落ちるはずが無いし、そうなれば軽く身辺調査もされるし、その関係で誤魔化し続けている私の過去(というかこの世界に来るまでのこと)に興味でも疑問でも持ったのか、それとも怪しんでいるのか、陸遜にまで覚えられてしまうし。ちなみに聞くところによれば、私の恩人は陸遜の先輩に当たるらしい。ということはあの人は文官であって武官じゃなかったのだ。武器を持っていた印象しかないから武官だと思っていたけれど。文官なら戦場を嬉々として駆け回るなと思わなくもないけれど、そういえば陸遜だって文官なのに武器を持って暴れまわっていた印象がある。つまり、そういうものなのだろう。文官も軍をまとめるようになればある程度の知略と采配は出来なければならないみたいだし。何て大変なんだと思うけれど、別に私がそれを目指しているわけではないからどうでもいい。

 変化は、嫌いだ。私がこの世界に来たことも、戦えることも、子供の姿になったのも、人を殺すことも、言葉が通じることも、文字が読めることも書けることも、あの人と生きて、あの人が死んだことも、そして今も、全て全て、私の“普通”から変化した。だからこれ以上の変化なんかいらないと思っていた。それは今でもかわらない。けれど、私の周りを変えた凌統に怒りは沸かない。それが不思議で仕方ない。この一年抗い続けてきたにも関わらず、心が全く穏やかなのがいただけない。どうしようもなく。

 いつの間にか眉をしかめていたらしい。凌統が私の眉間に人差し指を当ててきて、そういえば凌統がいたのだと気付く。
 「ちょっ、何するんです・・・。凌統さんはどうしてここに?この場所って結構穴場だと勝手に思ってたんですけど」
 「あんたが外に出るのは珍しいと思ってね」
 「つけてきたわけですか」
 「表現が悪くないかい。別に、ずーっと背中を追ってきたわけじゃないぜ」
 「・・・」
 殆ど同じようなものですよ、とは口に出さないまでも表情に出せば、凌統は肩をすくめた。この外人みたいな仕草は一体どこで身につけてくるのか甚だ疑問でもある。
 「で、あんたは鍛練しなくていいのか?もうそろそろ始まると思うけど」
 「昨日近場の討伐から帰ってきたばかりなので、今日は休暇をいただきました」
 「あっそ。そういや今更だけど、あんたにも前の討伐の報酬を出すからって陸遜が言ってたぜ」
 「・・・は!?いりませ」
 「っていうと思ったから、俺があんたに何か買ってやるよ」
 「今話し飛びましたよね?」
 「気にすんなっての。もっと柔軟に物事は考えないとね」
 凌統は柔軟って言うより軽いよね、という思いをため息に乗せた。功績を出せば出すだけ昇格して階級が上がっていく今の立場は、試験を受けさえしなければ上がらない前の立場よりも色々と誤魔化しにくく面倒くさくて、それならば報酬も何もいらないと、本音と嘘を混ぜつつ陸遜には直訴していたはずなのに、一体何の話だ。神妙な顔つきで、わかりました、と言ったあれは何だったんだ。もしかして、わかりましたその意見も一応考慮しておきます、っていうことだったのだろうか。有り得て嫌だ。
 「は髪も長いし、髪飾りなんてどう?子供とはいえ持っていたほうが役に立つぜ。その類をしているところ、見たことないんだけど」
 「いりませんって」
 「いらないって言うなら、俺が勝手に着るものでも見繕うぜ?もうそろそろで城お抱えの商人が来ることだからね」
 「冗談でしょう?」
 「今の俺が冗談を言っているように見えるかい」
 衣装とか飾りとかそういった類にもともと興味の無い私はよく覚えていないけれど、城のお抱えともなればとりあえず高いこと間違い無しだろう。私が直接行かなくても、全てオーダーメイドのこの時代は身長とスリーサイズさえあれば一応仕上げることが出来るらしいし。・・・ただでさえ女官や貴族の姫たちから人気のあるらしい凌統が、報酬だからといってそんなことを商人に頼んだと噂になれば大変なことになるに違いない。いつの時代でも年頃の女の子はそういうことに抜かりが無い。しかも、私くらいの身長の人間なんて中々いないから、ばれる可能性だってある。ハイリスクローリターンだ。一種の嫌がらせとさえ思えてくる。
 「報酬はいらないって言っているじゃないですか・・・一応出兵手当ては貰っているんですよ。買うものもほとんどないし、私はそれだけで充分。誰にも迷惑なんてかからないのに、何でそんなに気にするんですか」
 「まあ・・・そうだな、陸遜は軍師だからって事もあると思うぜ。腕の確かなあんたに速く武将になってほしいんだろ」
 私の呟きに、律儀に凌統が答えを返してくる。それには頷けた。ゲームでいうエディット武将とはいえ、レベルMAXかそれに近いだろう能力値ならば敵武将とも戦うことが出来る。一兵士としてちまちまと使うよりも、真っ向から敵に当てたいに違いない。今は山賊やら夜盗やらの討伐であっても、ここが三国である限りいずれはどこかの国と戦わなければならない日も来るだろう、その時のためにも。けど、それならば凌統は?
 私の視線に、凌統は困ったように笑った。
 「さあね。・・・あんたのこと、少しでも話してくれたら教えてやらないでもないけど。前にも言っただろ、俺はあんたの線引きしているその内側を知りたいんだってね」
 線引きの話は、例の討伐から帰って来た次の日に、凌統に言われた。私とその他を分けている線の、その内側を見たいと。意識していただけに、線引きとは言いえて妙だと思う。でもそんなこと、出来るわけない。
 私がよほど変な顔をしていたからか何なのか、はは、と笑われた。
 「別に、あんたがその線を越えてこっちに来てもいいんだけどね」
 「・・・え」
 私が線を越える。その言葉に驚いた。私の内側に入れるというのと、私が線を越えるのでは随分と意味合いが違う。考えたことも無かった。けど。
 「どっちにしろ、無理ですよ」
 「今は無理かもしれないけど、明日はそうじゃないかもしれないだろ。この次の瞬間には、無理じゃなくなっているかもしれない。・・・周りの環境も自分の気持ちも、時間も、変わらないものは何も無い」
 「変わらないものだって、あると思います」
 「無いね。あの討伐に出兵する前のあんたは、今こうやって俺と話してるなんて夢にも思わなかったはずだろ。それに無口だったあんたがだんだんとこうやって喋るようになったのだって」
 「でも・・・っ」
 凌統が言っているのはもっともなことで、私は反論できなかった。
 別に全ての変化を否定しているわけじゃない。時間は変わる。ただ、それがこの後にどう影響してくるかわからない。悪い方向に繋がる かもしれない。それがたまらなく恐ろしくて、嫌だ。ならばいっそ何も変わらなければいい。それだけを望んだ。



 でも。



 「ま、この話は後だね。まずはあんたの髪飾りだな。あと、飯」
 「だから髪飾りの話は」
 「じゃあまず飯だな。腹空いてないかい。なんなら俺がおごるぜ?」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・いただきます」
 「決まりっと。さ、行こうか」

 異分子は、この世界に関われないだろうと思っていた。私は周りの人たちと、やっぱり何かが違っていた。それはここに来る前の知識だとか、考えだとか、感じ方とかそういうものなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。異分子といえる要素は数多くあげられるけれど、何よりこの世界のあらゆるものに入り込めていない状況と心がそれを感じさせる。この世界に私の意志とは関係なくも紛れ込んでいながら、この世界と交わることはできないだろうと。それはやっぱり寂しいけれど、でもどうしようもないことなのだと思っていた。それは凌統が言うところの私の中での線引きで、完全にこの世界に取り込まれたくないという悪あがきでもあるし、その後私がどうなるかわからないという恐怖でもある。更に私は臆病だ。人が簡単に死ぬこの世界で関わるのある多くの人を作ってしまったら、何かがあったとき自分が傷つきそうで怖い。
 それなのに凌統は、私にその線を越えさせようとする。凌統と関わるうちに、凌統のペースに引きずられそうになる。もう、引きずられているのかもしれない。



 「この人、色んな意味でマイペースだ・・・」
 「ん?まいぺーす?」
 「まいぺーすじゃなくて、マイペースです。その人なりの進度とか方法で、生きている人のことみたいな意味です」
 「ふーん、マイペース、ね・・・。それなら、もだろ」
 「・・・どこがですか」
 「さあね」



 これがどう変化するのかわからない。変わることはやっぱりまだ怖いけれど、変化しないものは何一つ無いというのなら。少しずつでも、いいと言ってくれる人がいるのなら。見てくれる人がいるのなら。この、目には見えなくとも確実に存在する、私と凌統を、世界を分け隔てる線の向こう側に。あなたがいる方に。



 「私、そっちに行っていいのかな・・・」
 「ん?・・・、ああ、来なよ」

 私の呟いた声をもらすことなく聞いてくれるこの人になら、変えてもらってもいいかもしれない。私が変わっていくのを、見ていて欲しい。



 凌統の笑顔に頷いて、差し出された手を握り返した。





 これが、と凌統の始まり。







end



 
※ この作品は前作 『望むは、ただ一つ』 の続編です。
 ※ 前作よろしく、昇級試験・功績・報酬等は妄想発信です。










 執筆者様 : 藤緒様       サイト : セイレーンより愛の手紙を


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