君の姿、声以外には −2−
『私、ですか?』
『そう、そなただ』
告げられた言葉に、驚かなかったわけがない。
ただ、少しだけ見えた希望に期待せずにはいられなかった。
『私が共に行くならば、陸遜様―――この方は見逃していただけるのですか?』
『殿!?』
二人して従うより、二人して果てるよりは。
一人が従えば、もう一人が見逃されると言うのであれば。
どちらも生き残れる、条件が良い方を取る。
『その者の命と安全は約束しよう』
『分かりました』
『!』
ずっと繋いでいた手をそのまま引かれて、彼の方へ倒れこむ。
身体に腕を回され、抱き締められた。
彼を見遣ると、駄目だ、と首を振り訴えてくる。
それでも譲れなくて、回された腕をそっと離した。
『ですが、一つ条件を』
『何だ』
魔王を見据えて言葉を紡ぐ。
これだけは甘受してもらわなければ、従えない。
自分が魔王に付いていくとなれば、立場上彼とは敵同士となるのだから。
『私の持つ軍師としての智略も、武将としての力も、何もかもを貴方の為には使いません』
『我には一切手を貸さぬ、ということか』
『ええ。私は、陸遜様のためだけに囚われる捕虜です』
『良かろう。そなたの意思、気に入った』
提示した条件を呑まれ、安心した。
これで表立って彼と争うことはない。
『では、我が元に』
座り込んでいた大地から、腰を上げる。
同じように彼も立ち上がった。
一礼して離れようとしたら、手を取って引き寄せられる。
『殿、必ず助けに行きます』
『陸遜様―――――どうかご無事で』
小声で交し合って、そっと唇を重ねた。
力いっぱい抱き締められてもう一度重ねると、名残惜しく離れていく。
手を離して、同時に背を向けた。
これからの道は分かたれる。
『その者には手を出すな』
魔王の近くまで寄ると、割れた兵の群れから遠退いていく彼を見送った―――
目を覚ますと涙が頬を伝っていた。
彼と交わした最後のぬくもりが、まだ真新しく思い出される。
「さん」
「どうかされましたか?妲己さん」
流れる雫を気付かれないように拭って、彼女を見た。
身体は横たえたまま。
「あなたのお友達のことで意見を聞こうと思って」
にっこり笑った彼女は何か企んでいるよう。
でも何かを忘れている。
それとも知らないのか、どちらなのか分からない。
「何かありましたか?」
「あなたのお友達、遠呂智様の頭を悩ませることばかりしてるのよね」
わざとらしくため息を吐いて、彼女は言葉を続ける。
周りの情報を得られる良さもあるが、あまり聞きたくもない。
彼女はただ、面白がっているだけだから。
「私と魔王の条約、ご存知ではありませんか?妲己さん」
「条約?」
「ええ」
やはり知らなかったのか。
彼女は遠呂智の腹心の部下だと言っていた。
そして軍師だとも。
ならば知っていなければいけないことだろう。
「私は、智略・武力、そのどちらもそれ以外の何も手を貸さない。そういうお約束です」
「なっ―――――!?」
「ですから、お教えできることはありませんわ」
「あっそう、もういいわ」
頭に血が上ったのか、彼女は怒りを露にして居なくなった。
彼女の持つ、高い自尊心が傷つけられたからかもしれない。
(仕方のないことなのかもしれませんね)
同じように捕らえられて戦力として使われている人からも、恨まれる境遇に自分はある。
嘗ての味方と戦っている人も、多い筈だ。
自分はそうなりたくなくて、ただ彼と戦うことになるのが嫌で、条件を出した。
聞き入れられてなければ、ここに居ることはなかっただろう。
コツンと音がして、そちらに目を遣った。
そこにはまだ彼女に付き従っている影が佇んでいる。
顔は暗くてよく見えないが、口がゆっくりと開かれる。
『気を付けろ』
そう、言っていた。
時空は歪み、世界が混ざる。
魔王から聞かされた話は、想像を絶するもので。
自分達が住んでいた世界の他に、違う時代の違う国も混在しているらしかった。
海を渡った先にある日本と言う国の、遥か遠い戦国時代が。
自分達が暮らしている時代の何千年と後の世界らしい。
どちらにも共通しているのは、世が戦で乱れているということだけ。
魔王の居城に連れて来られて、何人かの人とは顔を合わした。
同じ時代に生き、姿を知らずとも名だけは聞いたことのある人。
違う時代の、名も姿も何もかも知らぬ人。
使っている言語が違うはずなのに、言葉が通じるという、妙な感じもあった。
でも魔王や他の人と顔を合わせたのは、その一度きり。
それからは彼女―妲己と、彼女に付いている影の人しか知らない。
交流を持ちたいとも思わないが、せめて国の人と会いたかった。
戦わなくていいこの身を罵られたとしても、みんなの無事だけは知っておきたい。
叶わないまま時だけが過ぎていって。
もう世界が歪んでから、この城に来てから何日経ったのかなんて、分からない。
国の人達の無事と、彼の無事だけを祈って過ごすだけ。
それももう、あと何日くらい続くか分からない。
これ以上は、身体が、保たない―――――
「おい、起きているか?」
男の人の、声がした。
まだ朝ではないと思うけれど、その声で意識が覚醒する。
「はい。貴方は・・・?」
「話している暇はない。動けるか?」
部屋の外から聞こえてくる。
少し高いような気もする、でも彼よりは低い男の人の声。
落ち着いている、しっとりとした響き。
「いえ・・・」
「俺は部屋に入れない。どうにかここまで来い」
自分以外の人が入って来れないようになっているのだろうか。
分からないけれど、本人がそういうのだから、そうなのだろう。
身を起こすのがやっとで、立つことも出来ない身体を引き摺って動く。
「もう少しだ。手の届くところまで来い」
あまり広くない部屋を、暗闇の中声だけを頼りに動く。
ズルズルと身体を引き摺って、纏っているものが乱れようと気にしない。
根拠はないが、いま行かなければ後がない気がする。
「・・・っ―――――」
「手を伸ばせ」
もう無理、と力尽きそうになったところで、声が掛かる。
何とか重たい腕を伸ばすと、グッと引っ張り寄せられた。
倒れそうになった身体をしっかりと支えられて、力が抜ける。
何故か少しだけ、身体が軽くなった。
あの圧迫する重苦しい空気も和らいでいる。
「大丈夫か?」
「あ、はい・・・」
頭の上から声が聞こえて、見上げてみれば綺麗な顔。
整った顔立ちと茶色の髪が目に入ってくる。
「歩け・・・・・・なさそうだな」
答える前に、ひょいと軽く抱き上げられる。
驚く間もなく男の人は歩き出して、思わず服を掴んだ。
「あの―――?」
「俺は石田三成。詳しい話は後だ、取り敢えずここから出るぞ」
簡単に名乗られ、次に言葉を紡ぐ前に彼は走り出した。
何かに追われているように、足取りが急いでいる。
暗い廊下を明かりも何も持たずに、ただただ走っていく。
途中人の気配がすれば暫く潜んでやり過ごし、それからまた進む。
「三成様・・・?」
「行くぞ」
どこから持ってきたのか、城の外に出れば一頭の馬が居た。
その鐙には取り上げられていた自分の得物が括り付けられている。
馬に乗せられると後ろに三成も乗って、勢いよく走らせる。
何も分からないまま、魔王の居城から抜け出した。
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